2015年3月アーカイブ

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夏目漱石、その作品の構図

まず漱石の小説には、既知の通り恋愛を扱った作品が多い。しかも、朝日新聞に入社してからは、つまり職業作家になってからは、具体的な作品名で言えば「虞美人草」以降は、1人の女性(Fとする)をめぐって、2人の男性(Mとmとする)の恋のストラングル(葛藤)が描かれている作品がほとんどだ。ただMのFに対する思いと違って、mのFに対する思いの多くは「横恋慕」の形(Mからすれば当然こうなる)で登場する。しかも、Mの方は、「恋愛の好機を逃す」のである。その「恋愛の好機の逃し方」は、各作品(=各M)によって、もちろん異なっている。これは言うまでもなく、各作品(=各M)に、それぞれの個性があるからで、読者の立場で言えばそこは新鮮なのである。またこれに伴って、Mの「恋愛の好機を逃す」理由も、当然ながらそれぞれ違う。その結果、「恋愛の好機を逃した後始末」も、各作品(=各M)によって異なり、ここから生じる各々の経緯が、各作品の主題に従った筋書きへと昇華して、より読者の興味を引くのである。
またMもmも、Fを真正面に据えて、面と向かって本心を告白する勇気は無い。むしろ両者とも、Fとそのような機会が生じるのを避ける傾向にある。これがMの「恋愛の好機を逃す」1つの大きな要因になっている。別の角度で言えば、Mとmの「友愛」の方が、かえって濃厚ですらある。しかし、いや、だからこそ、Mはmに何か決定的な「ワンフレーズ」を口走る。この一言が作品を強烈に印象付ける魅力になっている。また評価の高い作品には、必ずMとmとFとの間に、「死」が絡まってくる。この世 (=地上)では、彼が三者三様の恋愛は幸せな成就をしないのが常である。つまり漱石の数多くの小説に共通する構図としては「恋愛の好機を逃す」男が居て、「横恋慕する」ライバルの男が出現してきて、この2人の男が恋する女には「死」がまとわりつくのである。ただし、女に「死」が関係しないケースでは、2人の男の方が「死」と握手を交わす結果となる。

それから

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漱石  それから

漱石  「それから」

「それから」は1909年(明治42年)6月から10月まで、朝日新聞に掲載された長編小説。主人公の長井代助は、職に就かず、実家に金を無心しては裕福な生活を送る独身青年。旧友の平岡常次郎は銀行を辞めて東京に戻ってくる。平岡の妻三千代は、かつて代助が愛しながらも平岡に譲った女性。久しぶりの再会に、代助は三千代への思いを再び募らせていく...。「それから」は前後に執筆された「三四郎」「門」と合わせ、漱石の前期三部作と言われる。物語に直接のつながりはないが、いずれも恋愛をめぐる人間の心理や葛藤が緻密に描かれる。漱石は「それから」の予告に、三四郎の「それから先」を描いた小説で、代助は小川三四郎の「それから後の男」だと記した。続く「門」は、親友を裏切ってその妻と結婚した男が主人公。罪悪感にさいなまれ、救いを求めて禅寺の門を叩く。
船雛

http://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/56696093.html

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