夏目漱石、その作品の構図
まず漱石の小説には、既知の通り恋愛を扱った作品が多い。しかも、朝日新聞に入社してからは、つまり職業作家になってからは、具体的な作品名で言えば「虞美人草」以降は、1人の女性(Fとする)をめぐって、2人の男性(Mとmとする)の恋のストラングル(葛藤)が描かれている作品がほとんどだ。ただMのFに対する思いと違って、mのFに対する思いの多くは「横恋慕」の形(Mからすれば当然こうなる)で登場する。しかも、Mの方は、「恋愛の好機を逃す」のである。その「恋愛の好機の逃し方」は、各作品(=各M)によって、もちろん異なっている。これは言うまでもなく、各作品(=各M)に、それぞれの個性があるからで、読者の立場で言えばそこは新鮮なのである。またこれに伴って、Mの「恋愛の好機を逃す」理由も、当然ながらそれぞれ違う。その結果、「恋愛の好機を逃した後始末」も、各作品(=各M)によって異なり、ここから生じる各々の経緯が、各作品の主題に従った筋書きへと昇華して、より読者の興味を引くのである。
またMもmも、Fを真正面に据えて、面と向かって本心を告白する勇気は無い。むしろ両者とも、Fとそのような機会が生じるのを避ける傾向にある。これがMの「恋愛の好機を逃す」1つの大きな要因になっている。別の角度で言えば、Mとmの「友愛」の方が、かえって濃厚ですらある。しかし、いや、だからこそ、Mはmに何か決定的な「ワンフレーズ」を口走る。この一言が作品を強烈に印象付ける魅力になっている。また評価の高い作品には、必ずMとmとFとの間に、「死」が絡まってくる。この世 (=地上)では、彼が三者三様の恋愛は幸せな成就をしないのが常である。つまり漱石の数多くの小説に共通する構図としては「恋愛の好機を逃す」男が居て、「横恋慕する」ライバルの男が出現してきて、この2人の男が恋する女には「死」がまとわりつくのである。ただし、女に「死」が関係しないケースでは、2人の男の方が「死」と握手を交わす結果となる。
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