第四巻
第一次世界大戦から日中戦争前
(1914〜1536)
国際収支危機にあった日本は、第一次世界大戦によって債務国から債権国へ転換するとともに、輸入代替化が重化学工業の発展を促し、先進国へのキャッチアップの足がかりを得ることができた。
戦後、反動恐慌から金融恐慌、昭和恐慌と、相次ぐ恐慌によって持ち込んだ1920年代の日本経済は、30年代前半には大幅な円安と政府需要によって急速に回復し、一人当たりGDP成長率では欧米先進国を凌駕するに至っている。
第五巻
現代Ⅰ 日中戦争期から高度成長期(1937-1972)
無謀な日中戦争からアジア太平洋戦争、そして終戦と占領を経験した日本は、戦時期から占領期の制度改革をもとに、アメリカが再建した自由貿易体制に加わって、その恩恵を享受する。軍需から投資需要への支出構造転換と旺盛な技術導入により、驚異的な生産性向上と経済成長を体験し、一人当たりのGDPにおいて平均的な西側諸国に追いついた。その軌跡を描く。
第六巻
現代2
高度成長期の生産性向上昇は、資本装備率の上昇と、米欧からの技術移転、長期雇用関係に基づく企業内訓練や系列取引をつうじた中小企業への技術伝播による全要素生産性の上昇に支えられてきた。
しかし、このシステムは、労働人口増加の減速、技術移転の完了、生産性の海外移転など、1980年代以降の環境変化の下で、変革を遅らせる制度的桎梏として作用する。
国際化・技術革新に取り残された中小企業と、企業内訓練から排除された非正規労働者が生産性上昇を減速させた。
特に情報技術の革新は、正規・非正規労働者間の格差を拡大した。
また、70年代以降、社会保障制度は、所得再配分の機能を強めたが、90年代以降、社会保障給付に必要な政府貯蓄の赤字を、現役世代の負担増や受益者世代の給付抑制ではなく、民間貯蓄による国債購入によって賄う構造が定着した。
しかし、少子高齢化により民間貯蓄から政府貯蓄赤字を引いた民間貯蓄をゼロに近づきつつある。
この持続不可能な道からの脱却には、出生率と高齢者就業率の上昇、そして教育投資増による現役世代の生産性上昇が喫緊の課題である。
第一巻 中世
近世以前の日本においても経済活動は活発に行われていた。――律令制と中央集権的な古代社会が崩れ、荘園制と分権的な社会に転換した中世において本格的な市場経済社会が始まった。多彩で地道な実証研究の成果と、新たに推計されたGDPをはじめとする農業生産・人口・物価・賃金等の数値を用いて中世経済の立体像を示す。
2017-8-14 第1巻、第2巻、合わせて届きました。