夏目漱石を読む

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夏目漱石を読んでみる



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  漱石没100年、生誕150年を期し、様々な読書イベント、読書論、漱石論,
さらにwhyに応える文学論、howに応える漱石研究、エンタテイメント性の作品論などが生み出されている。




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漱石学

 漱石ほど研究の俎上に乗せられることの多い作家である。作家論、作品論、評伝やエッセイ、比較文学論、さらに漱石文学を下敷きにして書かれる小説に至るまで、研究は多種多様である。文字通り「漱石学」なるものが存在する。
小宮豊隆:漱石文学は、「自己本位」から「則天去私」に到達するもの
江藤 淳:作家論が道徳観の成熟論から微妙な解釈の変容を蓄積させながら、「道徳の偶像」としての漱石像の破壊へ、漱石論の画期的な地平」へ。偶像としての漱石に交わるのでなく、漱石のテクストに深く入り込み、それがいかようにでも読み得るものであるとした。

偶像化は漱石の不安や葛藤を抽象化し、それを一般的な道徳の問題としてしまい、みんな漱石のように悩み、漱石のように問題解決を図るだろうことを前提に、それを平凡な人物の共通な問題とし、それを他人事のように三人称客観描写で語るトリックを用いることによって「則天去私」の神話が生まれた。と

このような批評はいずれも、漱石を読み直す際に強烈な個人的動機を持っており、新たに漱石論を書こうとする者は、おのずから、自分の立っている場所、論理の地盤を疑ってかかることになる。
先の「漱石論」の作者たちは一般的な「漱石像」ではなく、自分の「漱石像」を書く、書き直すこととなる。

桶谷秀昭 「夏目漱石論」
蓮実重彦 「夏目漱石論」
大岡昇平 「小説家夏目漱石」
柄谷行人 「漱石論集成」
石原千秋 「夢十夜における他者と他界」
小森陽一 「こころを生成する心臓」
これらは、漱石のテクストに深く入り込み、それがいかようにも読み得るものであることを証明した。

深読み日本文学史 島田雅彦 著 インターナショナル新書
近代文学の体系
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57995599.html

自我と超自我の苦闘の歴史
漱石は日本が日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦と言う3つの戦争を経験した時代の作家ゆえに、漱石文学は、日本の西洋列強に追いつき、追い越せと戦争に前のめりになっていた時代に、「インテリたちはどのように知性を働かせたのか」と言うことの1つのモデルとなっている。
つまり、漱石の作品には、「知識人は国家の危機の時代にどのような態度を取るべきか」、あるいは、「国家が危機を迎えた時、知識人はどのような挫折を体験することになるか」といった「自我の体系」が刻み込まれている。

文学って何だろう 佐藤裕子 著
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57555289.html
『文学論』は、漱石の認識した世界を可視化するものとして、つまり何を読んで、何を考えたか、どのような刺激を受けたかを、一目瞭然に映し出すものとして、重要な意味を持っています。『文学論』の中で独立して引用された資料の総数は322。次回は、『文学論』が示す世界をじっくりと読み解いていきたい。

文学問題(F+f)+ 山本貴光著
漱石の理論「使える」よう再生批評
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57945950.html
 小説家としてデビューする以前の若き漱石が、英国留学からの帰国後、東京帝国大学で行なった講義をもとにした未完の大著『文学論』を、あらためて読み解き、そこに込められたさまざまな可能性を徹底的に引き出そうとする、野心的な長編論考である。

「漱石激読」 小森陽一、石原千秋 共著
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57734024.html

序章「文学論」から見渡す漱石文学では、
「文学論」における「F+f」の公式が、初期小説の中で、実践的な執筆過程において方法として自覚されていった。
「文学論」の理論と実作との関係は、議論を貫く一つの道筋となる。

作品評価基準として
Aストリーのよしあし
B含まれている思想の深さ
C含まれている知識の豊かさ
D文章の良し悪し
E現実性の有無。絵空事でもしょうせつとしての現実性は大切だ。
F読む人の好み。作者への敬愛、えこひいきなど
評価論としての「漱石を知っていますか」阿刀田 高
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57945042.html

作品の全貌を俯瞰、わかりやすく解説する手引書、カタログとしての「知っているようで知らない夏目漱石」作品の面白さ、漱石の謎を発見、解明。読み方のこつなど。出口 汪(ひろし)
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57945062.html

水川隆夫 「漱石と明治」は、時代背景と漱石の作品描写の作法を通して、漱石・作品の解説をしている。
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57973167.html

漱石と日本の近代 上 石原千秋
「自意識は強いのに他者との関係に自信が持てない」――漱石文学の主人公たちは皆、早く生まれすぎた“現代人”だったのかもしれない。『それから』まで主要な前期六作品を取り上げ、「漱石的主人公の誕生」という新たな解釈をもとに物語の奥に込められたテーマを浮き彫りにしていく。時代を超えて通じる閉塞感と可能性を読む。
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57734009.html

漱石と日本の近代 下 石原千秋
都市空間に住む家族の物語を描き続けた漱石。明治民法によって家の中にも権利の意識が持ち込まれ、近代的「個」の自覚、生活に浸透する資本主義、家族を離れた愛など、新たなテーマが見出されていった。中でも漱石にとって最も謎に満ち、惹かれた対象は「女の心」だった……。後期六作品を中心に時代と格闘した文豪像を発見する試み。
https://blogs.yahoo.co.jp/yhjp711/57734011.html

漱石全集発刊後
30年代~40年代
小宮豊隆、「即天去私」的漱石像と
 小宮豊隆が描いた漱石像は、やがて近代的自我の確立という言葉と知識人の苦悩という言葉に収斂していく。
江藤 淳、低音部、内向性、心の深淵、他者など新しい概念でとらえた漱石像へ
 江藤淳の漱石像は人間の奥深くに沈潜するもの。また「他者」という概念を用いて論じた。江藤の描く漱石像は自己の内面奥深くに降りていくと同時に他者に向かって関係を模索している。これは「知識人の苦悩」を一人で悩む孤独な人間ではなく、日常的な人間関係において他者とのかかわりを悩む孤独な人間を提示。

50年代~60年代
近代的自我の確立と知識人の苦悩から
 近代的自我の確立という言葉は、アイデンティティと倫理性とを兼ね備えた自我を漱石文学に見出す。
 知識人の苦悩という言葉は、過剰な自意識によって近代や、その近代に生きる自己の歪みを自覚しながら、その歪みを乗り越えることが出来ない苦悩のことで、近代批判のモチーフに彩られた。
そして、実に様々な枠組みから漱石文学が論じられるようになった

そして70年代~80年代
女子学生増による文学大衆化、教養化に伴い様々な枠組みから漱石文学が論じられるようになる。やがて、実存主義的哲学の存在論へ

そして、90年代~それ以降は、
村上春樹の作品のように、文芸漫談(エンタテイメント)のように様々な読み方が提案されてきています。

2000年代~2010年代
新たな読み方、解釈など模索時代へ
 漱石と小説の問題系をめぐる議論は、丸谷才一と山崎正和の対談「夏目漱石と明治の精神」、柄谷行人「漱石の多様性」。
 丸谷才一・山崎正和「夏目漱石と明治の精神」では、「近代文明は世界文明だった、最初に証明したのが日本だった」という山崎正和の指摘は日本の近代化を考える上でも、近代とは何かを考える上でとても重要。また、「19世紀小説の基本的な型を日本に忠実に持ってこようとしたときに、高等遊民を書くと非常に小説的にうまくいく」丸谷才一の指摘は漱石の小説の秘密をよく言い当てている。
 柄谷行人「漱石の多様性」では「明治」というじだいにふれ、「彼らはそれぞれ政治的な戦いに敗れ、内面あるいは精神の優位をかけて世俗的なものを拒否することで対抗しようとした」、小説が内面を描くようになった経緯を説明。

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このページは、blogskawano.netが2018年2月 2日 10:58に書いたブログ記事です。

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