デフレと戦う 金融政策の有効性

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 デフレ脱却に向けた金融政策のレジーム転換

デフレと戦う――金融政策の有効性 レジーム転換の実証分析新刊

著者 安達誠司 (編著),飯田泰之 (編著)

「黒田日銀」6年間の成果とは? 金融政策のメカニズムと効果について実証的に分析したはじめての書。

 非伝統的金融政策の実体経済に対する影響について、様々な理論的仮設、様々なチャンネルについて計量的な検証を進めることで、平成大停滞の金融政策の影響力について整理された分析が行われている。

 本書から得られた諸結論が、今後の政策論争をより実りのあるものへとすることを期待するものである。

内容紹介

「黒田日銀」6年間の成果とは? 金融政策のメカニズムと効果について実証的に分析したはじめての書。

目次

第1章 量的・質的金融緩和、予想インフレ率、生産

第2章 マネーと物価

第3章 金融政策によるフィリップス曲線のシフト

第4章 フィナンシャル・アクセラレーターと金融政策の効果

第5章 ソロスチャートの実証分析

第6章 為替レートと企業業績--企業レベルのパネルデータによる分析

第7章 金融政策と財政政策の相互関係をめぐって

第8章 物価水準の財政理論(Fiscal Theory of Price Level,FTPL)について

第9章 予想インフレ率の予測力


「黒田日銀」約6年の成果とは? 前例なき金融政策のメカニズムと効果について、実証・理論の両面から分析したはじめての書。エコノミスト、経済学者らが多面的に論じる。

【執筆者一覧】(掲載順)
原田泰 日本銀行政策委員会審議委員
石橋英宣 内閣府大臣官房総務課企画官
矢野浩一 駒澤大学経済学部教授
岡田多恵 駒澤大学経済学部専任講師
堀 雅博 一橋大学国際・公共政策大学院教授
梅田政徳 消費者庁消費者教育・地方協力課課長補佐
花垣貴司 在中華人民共和国日本国大使館経済部一等書記官
増島 稔 内閣府政策統括官、埼玉大学客員教授
安井洋輔 株式会社日本総合研究所調査部主任研究員
福田洋介 農林水産省国際部国際経済課国際専門官

著者について

安達 誠司
エコノミスト、丸三証券経済調査部長
1965年生まれ。東京大学経済学部卒業。大和総研、ドイツ証券等を経て現職。『脱デフレの歴史分析』で第1回河上肇賞、『恐慌脱出』で第1回政策分析ネットワーク賞受賞。

飯田 泰之
明治大学政治経済学部准教授。
1975年生まれ。2003年東京大学大学院経済学研究科博士家庭単位取得退学。駒澤大学経済学部専任講師・准教授を経て、現職。

(概要、論旨)

    デフレと戦う金融政策の有効性.pdf



(以前の掲載論文)抜粋

http://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je13/pdf/p01021_1.pdf

 



(参考図書)

「政策レジューム」転換でたどる近代日本
脱デフレの歴史分析  安達誠司 著   藤原書店

近代日本の政策思想の変遷



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    明治維新から1940年の、いわゆる戦時体制が確立されるまでの70年を近代日本と定義した場合、政策レジュームの転換が要請された局面は、都合、3回あったと考えられる。

 最初の局面は、1881年の「明治14年の政変」による大隈財政から松方財政への移行であり、

 第二の局面は、1920年代における「金解禁論争」から1930年の金解禁断行、昭和恐慌を経て、1931年の高橋財政に至るまでの政策転換過程であり、

 第三の局面は、1936年の二・二六事件をきっかけに、積極的な大陸進出を目指す「大東亜共栄圏」構想が実現に向けて動き始めた局面であった。

 この三つの局面での政策レジューム間の競争プロセスについての考察。

 なお、第二の局面での「金解禁論争」に代表されるように、実際のレジューム間競争「場」として極めて重要な役割を果たすのが「通貨システム」の選択についての政策論争であった。

 主に国内経済の成長戦略、及び、その背景となる政策思想をめぐるレジューム間競争について考察である。






「政策レジューム」転換の必要性


政策レジュームの転換.pdf

 




(既刊書)
円高の正体 安達誠司 著 光文社新書

 円高は、日本の貿易収支の赤字化を促進します。
 日本の貿易黒字は、円安が起こると増え、円高が起こると減るのです。
 そして、、為替レートが円高になるたびに、つまり日本の製品が円高によって負けるたびに、日本の景気(=名目GDP)は低下しているという事実があります。
 さらに円高は、日本のGDPを減少させる効果を通じ、税収を減らしています。
 景気が悪くなれば、消費者は買い控えをするので消費税の税収が減るし、国民の所得が下がることで、所得税の税収も減ります。
 企業の所得が減れば、法人税の税収も減るのです。
 円高は、名目GDPを減少させる効果をもって、日本全体の税収を減らし、ひいては、日本の財政赤字の大きな原因の一つになっている。



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脱デフレの歴史分析   安達誠司  著
 
第1章 基本コンセプトとしての「政策レジーム」の重要性
            経済政策の「レジーム」概念を明確にしたのは、T.サージェントであり、彼によれば「政策当局が、経済政策を遂行するに当たって選択する(経済状況の関数で表現される)ルールの体系」を意味する。経済政策のレジーム転換は、経済主体の属する経済圏の先行きに対する「予想」形成のパターンを変化させることで、経済主体の意志決定、ひいては経済行動そのものを変化させる。民間経済主体と政策当局者の「認識ギャップ」は、合理的期待形成学派では、経済政策遂行に対する信頼の度合い(例えば、明確なコミットメントの有無)に大きく依存。
            戦前期の日本の政策レジームを、損失関数L(t)=(dY-dY*)^2+b(e-e*)^2 の最小化と定式化し、政府が外生的に操作可能なのは、①dp*:目標名目成長率、②b:通貨システム選択のパラメータ、③e*:目標為替レート、とする。為替レートを含めるのは、国家の経済的な繁栄のためには、外交政策が重要であるため。
第2章 政策レジーム模索の過程
            明治新政府の政策プライオリティは、国力の充実であり、その具体的な目的は不平等条約の改正。この政策目標は徳川幕府においても同じであり、本書に言う「政策レジーム」の転換が意識されたのは、1873年に大隈重信が大蔵卿に就任し、具体的に財政政策構想を発表して以降。
            「ガーシェンクロン・モデル」では、両国の経済発展段階にあまりにも大きな格差がある場合、人的資本やノウハウの蓄積が間に合わない等の理由で、後進国の先端技術導入は失敗し、多大なコストによる財政危機等によって、経済的低迷を余儀なくされる。大隈は、インフレ率の高進の原因を、
①正貨流出による政府紙幣の信用低下、
②クレジット・クランチによる産業の資本不足、
と考え、政府紙幣増発がインフレ率の原因とは考えなかった。
また、後進国日本は民間の資本蓄積が不十分で金融システムも未完備であるため、産業革命のためのファイナンスを政府主導で行う必要があるとの考えが底流にあった。しかし、このことは、民間経済主体に慢性的なインフレ予想を熟成し、富裕農民による「投機バブル」を生む。
            1881年に大蔵卿に就任した松方正義は、①紙幣整理、②予算制度の不備の修正、③正貨準備の蓄積、を掲げた。松方財政において、インフレ圧力解消に最も効果があったのは、地租納期の繰上により米価高騰の沈静化。これは、金融引き締めがまず、資産価格の下落を通じて借り手の担保価値を著しく低下させ、金融機関の経営の不安定化をもたらすという「フィナンシャル・アクセラレーター」によるデフレとみることができる。
一方、正貨流出は大隈財政後期の政策転換でほぼ解消しており、軍事支出の拡大は、デフレによる需要低下を穴埋めする事後的な積極財政となった。
第3章 「金解禁」を巡る政策レジーム間競争の過程
            日清・日露戦争後は、
①旧平価での金本位制復帰と国内経済合理化・構造改革の組み合わせた「ワシントン・レジーム」、
②「先進資本主義列強国」の地位の放棄と、変動相場制の下での自由貿易体制確立を組み合わせた「小日本主義レジーム」、
③東アジア諸国で日本を盟主とする独自の経済圏を創設し、国家による経済の一元的な管理・計画を行う「大東亜共栄圏レジーム」、によるレジーム間競争が30年弱の長期にわたって繰り広げられた。
            当時の日本では、「余剰人口」が問題となる。1929年の高橋亀吉「日本資本主義の合理化」では、①キャッチアップ型経済成長過程が終演し、成長フロンティアが枯渇、②ワシントン条約締結後、「帝国主義」的海外進出の余地が著しく低下、③財政、国際収支の「双子の赤字」、④不平等の激化と「勤労モラル」の低下、⑤政財界の癒着と不採算企業救済負担の増大、から、日本経済は行き詰まっているとし、これらを断ち切るために、3つの政策レジームは提示された。しかし、当時の日本経済には、なお潜在的には「成長フロンティア」が存在し、ドーマー条件が満たされていることから、③についても大きな問題とは言えない。
            1929年の)濱口内閣(井上蔵相)では、金解禁断行を選択したが、そもそも、金解禁によって再建金本位制採用国の仲間入りを果たすことが目的であり、それを実現するために、不採算企業等の淘汰等の産業合理化政策を進める必要があったものが、いつの間にか、金解禁が産業合理化を実現するための方策として「本末転倒」的に位置づけられるようになる。一方、「社会的弱者」の救済には消極的。当時の軍部は、下級将校を中心に農村出身者が多く、このことが、後の軍部の台頭と政党政治消滅のきっかけになる。
第4章 「小日本主義レジーム」によるデフレ脱出過程とその「疑似性」
            石橋湛山等によって提唱された「小日本主義」は、スミスやミルの経済思想である自由放任主義経済と反帝国主義を結びつけ、大不況下の英国における「本国の過剰人口のはけ口としての植民地の現実的な価値」を否定し、対外膨張主義の問題点を指摘した「小英国主義」に準えたもの。日本が植民地を放棄すれば、植民地経営のコストが軽減され、開放したアジア諸国の経済発展によるメリットを享受できるとした。しかし、(1931年の)犬養内閣(高橋蔵相)では、大国・帝国主義的な政治思想を併せ持つ擬似的な政策レジームであった。
第5章 「大東亜共栄圏レジーム」の台頭
            2.26事件(1936年)後の広田内閣で蔵相に就いた馬場鍈一は、地方・農村重視の財政政策思想を持つ。軍事支出と農村対策費による財政赤字の拡大が、大量の正貨流出をもたらした。宇垣の組閣失敗と「池田路線」の挫折により、「大東亜共栄圏レジーム」への転換が決定的となり、「総力戦」を可能とするための「統制経済」がとられるようになる。
           

第6章 後期松方財政はなぜ、政策レジームの転換に成功したのか
            明治初期の日本は、通貨システムの不備による正貨流出という制度的欠陥を抱えていた。日米修好通商条約では、金銀の交換レートは1:5と、当時の国際的な交換比率である1:15と比べて大幅に金が割安。由利公正は、太政官札による財政赤字ファイナンスを考えたが、これは流通せず、また日米修好通商条約では、外国人が紙幣の兌換を求めた場合、必ずそれに応じるべきとの条項が存在。このため、外国人による裁定取引により、ますます正貨流出が進んだ。
            松方財政下において、1885年に銀本位制を採用されるが、購買力平価よりも円高水準での採用であり、いわば井上財政失敗の先駆け。ただし、先進資本主義国がこぞって金本位制を採用する中、金銀比価が銀安方向での局面にあり、銀ベースでの正貨準備を拡大し、実質的な円安効果を日本経済にもたらした。松方財政下で日本が先進資本主義列強の一因へと成長できたのは、軍備拡大を梃子にした産業革命というミクロ経済的な要因も存在したが、銀本位制の選択によるマクロ経済的な要因が大きい。
第7章 レジーム間競争の「場」としての「金解禁論争」
            マッカラム・ルールによる最適金融政策の観点から見ると、日本の場合、1921年以降、金融政策はほぼ一貫して引き締め気味に運営されていた可能性。「在外通貨」という通貨システムの制約と、寺内正毅内閣下での「勝田構想」()
第8章 「"疑似"小日本主義レジーム」への転換と昭和恐慌からの脱出
            金本位制の下では、①為替レートは固定的、②採用各国の通貨供給量は、当該国の保有する金の量に依存し、③金本位制国間の国際間取引(貿易、資本)の決済には金が用いられ、取引によって国内の金の量が変化する。国内需要が強くインフレの局面では、輸入が増加し対外支払が増えるので金が流出し、それにリンクして通貨供給量が減少するので、金利が上昇しやがて国内需要が減速する。
            米国は、金の流入局面において、財務省による不胎化政策で金を退蔵させ、国内の通貨供給量に影響がないようにした。このため、上記の平衡プロセスが機能せず、他国では金の流出によるデフレがもたらされたのに加え、金の移動による物価の自動調節作用が機能せず、世界中の先進資本主義国が(特に金が流出した国)は、軒並みデフレに陥る。*1
第9章 「大東亜共栄圏レジーム」への転換過程における通貨システム選択の失敗
            軍部主導の「円圏」路線の失敗から、「円の対ポンド相場の安定・国際協調による日中戦争早期終結」を政策目標とする「池田路線」へ、その挫折(略)
第10章 「円の足枷」と平成大停滞
            「円高シンドローム」論と、未だに続く「円の足枷」、「東アジア共同体構想」の問題(略)
おわりに 「政策レジーム」転換の必要性
          

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黒田日銀」6年間の成果とは? 金融政策のメカニズムと効果について実証的に分析したはじめての書。

 非伝統的金融政策の実体経済に対する影響について、様々な理論的仮設、様々なチャンネルについて計量的な検証を進めることで、平成大停滞の金融政策の影響力について整理された分析が行われている。

 本書から得られた諸結論が、今後の政策論争をより実りのあるものへとすることを期待するものである。

アベノミクスの現状と今後の課題とは。金融政策のメカニズムと効果について理論的、実証的に分析する。「黒田日銀」6年間の成果とは? 金融政策のメカニズムと効果について実証的に分析したはじめての書。

第1章 量的・質的金融緩和、予想インフレ率、生産

第2章 マネーと物価

第3章 金融政策によるフィリップス曲線のシフト

第4章 フィナンシャル・アクセラレーターと金融政策の効果

第5章 ソロスチャートの実証分析

第6章 為替レートと企業業績??企業レベルのパネルデータによる分析

第7章 金融政策と財政政策の相互関係をめぐって

第8章 物価水準の財政理論(Fiscal Theory of Price Level,FTPL)について

第9章 予想インフレ率の予測力

 新書は、前例鳴き経済政策を、実証・理論の両面から解明。
 アベノミクスの現状と今後の課題とは。金融政策のメカニズムと効果について理論的、実証的に分析する。

近代日本の政策思想の変遷

明治維新から1940年の、いわゆる戦時体制が確立されるまでの70年を近代日本と定義した場合、政策レジュームの転換が要請された局面は、都合、3回あったと考えられる。
 最初の局面は、1881年の「明治14年の政変」による大隈財政から松方財政への移行であり、
 第二の局面は、1920年代における「金解禁論争」から1930年の金解禁断行、昭和恐慌を経て、1931年の高橋財政に至るまでの政策転換過程であり、
 第三の局面は、1936年の二・二六事件をきっかけに、積極的な大陸進出を目指す「大東亜共栄圏」構想が実現に向けて動き始めた局面であった。
 この三つの局面での政策レジューム間の競争プロセスについての考察。
 なお、第二の局面での「金解禁論争」に代表されるように、実際のレジューム間競争「場」として極めて重要な役割を果たすのが「通貨システム」の選択をについての政策論争であった。
 主に国内経済の成長戦略、及び、その背景となる政策思想をめぐるレジューム間競争について考察する。

「近代の超克」が、結局は、西洋中心主義を否定し、より国粋主義的な思想の正当性を明らかにするものとなったように、近代日本の経済政策も「アジア主義」的な考え方を基礎とした構想が次第に勢力を拡大していった。そしてこれは、最終的には「大東亜共栄圏」構想として結実し、その後、日本は戦時経済体制へと突き進んでいくことになった。戦前の日本経済がこのような「破滅への道」を突き進む事を余儀なくされたのは、明治維新期以降の西洋資本主義的な経済政策の多くは失敗し、日本経済が全く行き詰まってしまったためだったと言うのが定説になっている感がある。
しかし、これは決して日本の経済政策運営に西欧資本主義的な政策思想がマッチしなかったためではなく、政策担当者は西欧資本主義的な政策を実現するための適切な政策上の枠組みをうまく選択できなかった事にその理由が見いだせるのではないか。
では、その「枠組み」とは何か。それは、「通貨システム」であると言うのは著者の考えである。幕末以降、日本経済がグローバル経済に取り込まれていく過程の中で、日本の経済政策担当者はあまりにも通貨システムの選択に無頓着ではなかったのか。そして通貨システム選択の失敗が、日本経済に幾度となく深刻なデフレーションをもたらし、結局は、日本を戦争と言う破壊に導いたのではなかっただろうか。

円高は、日本の貿易収支の赤字化を促進します。
 日本の貿易黒字は、円安が起こると増え、円高が起こると減るのです。
 そして、、為替レートが円高になるたびに、つまり日本の製品が円高によって負けるたびに、日本の景気(=名目GDP)は低下しているという事実があります。
 さらに円高は、日本のGDPを減少させる効果を通じ、税収を減らしています。
 景気が悪くなれば、消費者は買い控えをするので消費税の税収が減るし、国民の所得が下がることで、所得税の税収も減ります。
 企業の所得が減れば、法人税の税収も減るのです。
 円高は、名目GDPを減少させる効果をもって、日本全体の税収を減らし、ひいては、日本の財政赤字の大きな原因の一つになっている。

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このページは、blogskawano.netが2018年9月26日 08:06に書いたブログ記事です。

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