マクロ経済の理解

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マクロ経済の理解

 

おおざっぱに言えば、マクロ経済とは、多くの主体(個人、企業、政府等々)がそれぞれ活動する中、その個々の取引が集合して形成する経済のことを指すのだが、その全体像はなかなか見えにくく、また、いろいろな経済要素が複雑に絡み合っている側面があるため、理解が難しいのでは確かである。

 

しかし、経済取引は煎じ詰めれば、人々が物(サービスを含む)を生産し、それを人に売り、買った人が消費する、といったごくシンプルなバターンが基本であり、しかも、それは現代ではもっぱらお金でやりとりされるので、金額として集計することが可能であり、その意味で「数的」に比較したり、分析したり、捉えたりして、理解しやすい分野でもある。

にもかかわらず、マクロ経済について理解が十分である人は、いつまでたっても少ないように思われる。それどころか、テレビや新聞等で報道されるマクロ経済に関する主張の中には、正しくないと思えるものが多くある。そうした誤った主張がまかり通るのは、おそらく「構造」と言うものを正しく把握してないからではないか、ということだ。

 

マクロ経済と言うのは、ミクロ経済と違って、個々の論点だけを詳しく分析して正しい理解は得られないものだ。

ここで「会計学」の観点から説明すると、つまり、マクロ経済には確かに金利とか成長率とか「割り算」の世界もあるのだが、

売って、買って、お金を貸して、返して、と言う「足し算・引き算」だけでもマクロ経済は十分理解することができる。

計算と言うよりも、

誰かの売り上げは、相手の仕入れになる、

誰かの貸付は、相手の借り入れになる、

そして、

取引を資産・負債の増減と

収入・費用の発生

と言う両面から見るといった「複式簿記」的発想こそが、

実はマクロ経済の「構造」を理解する上では重要なのである。

 

日本国の巨額の累積債務の存在を良いことだとは思っていない。

それ自体が大いなる不均衡だからだ。

また、将来世代にツケを残して良いとも思っていない。

だが、将来世代にツケを残すなとか、そのために財政を健全化しなければならないと言う主張は、物事の全体と本質を理解していない短絡的な思考であり、逆に事態をますます悪化させることにつながりかねない。

日本国の累積債務は、ある意味で必然だったこと、そして、それは単に借金を削減すれば良いと言う単純なものではないこと、そもそも資本主義と言うものの性質上、実は借金が悪で貯金が善だとは言えないこと。

われわれはこれらを理解した上で、どうあるべきかを考える必要がある。

 

われわれはもう経済成長をむやみに追うのはやめ、諦めて、質素な生活をしようと言う意見に関しては、その思想自体を否定するものではないが、資本主義と言うものは他の経済システムに比べ、今のところ最も良い(ましと言うべきかもしれないが)ものであること、と言わざるを得ない。

そして資本主義の宿命として次々に前年を上回るような投資が発生し、経済成長をし続けなければならない。

―― 経済と言う名の自転車は倒れてしまう。―― 

そのことを考えれば、やはり経済を成長せざるをえないのであると考える。

ただし、人間は利己的なものであり、近視眼的になりがちな生き物である。

それが、本来使い回しすべきお金を、それぞれ必死に貯めこむ方向に駆り立て、なおかつ他者の犠牲の上に自分の今があることに気づかず、自己の利益ばかりを主張して、その結果として全体の利益が損なわれる。

人々のエゴが資産と所得の極端な偏在を生み、その結果、人間にたとえれば血液に相当するお金が経済と言う体を巡らなくなり、停滞して、そしてデフレは永続することになる。

これらは、人間の性格と資本主義の性格からもたらされる必然であるような気もする。

(また、「資本主義が経済成長を求めざるを得ないことが、地球資源の有限性から見てもそもそもの問題点である」との批判があるとすれば、その批判は甘受せざるを得ない。資本主義とは様々な問題を孕(はら)んだシステムであるのは確かだろう)

今日の世界経済において、格差の存在を問題視している経済学者は少なくない。

国民の最低限度の生活を保障するためにベーシックインカムと言う政策を提唱するものもいる。

それは、国民一人ひとりに一定の現金を給付すると言う制度だ。

仮にこれが実施されれば、貧困層の購買力が向上し、総需要の増加も期待できるだろう。

このようにたくさんの格差の存在をカバーする政策が真剣に議論されている中、それに逆行する格差拡大の政策が導入されようとしている。消費税増税である。消費税の税率は国民共通であるが、低所得者層ほど収入から生活費に回す金額の割合が高くなり、消費税の負担は相対的に重くなる。ただでさえ所得格差、資産格差があるのに、それを助長しようとしているのだ。

増税となると、間違いなく総需要はいっそう冷え込み、当然、企業は国内に投資をしようとせず、デフレは悪化するだろう。

資本主義そのものを変えることは困難であろう。そうであるならば、国民の多くがマクロ経済の本質とその構造を十分に理解して、事態の悪化を阻止するように行動しなければならない。


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コメント(3)

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金銭債務 支払手形、買掛金、借入金および社債等、将来一定期日に他の企業に対し現金を引き渡す契約上の義務をいいます(金融商品実務指針216項)。 金融商品会計上は(負債としての社債を社債金額よりも低い価額または高い価額で発行した場合を除いて)原則として、債務額をもって貸借対照表価額とされます(金融商品会計基準第三.

マクロとミクロの合成の誤謬を書いている本。

株式会社の資本も含めて金融債務と、聞いたこともない理論
お金を借りることに対するコスト(信用プレミアム)などがない閉鎖経済の話をずっとしている
現実と離れすぎている

またドイツがイタリアなどのおかげでユーロ安の恩恵を受けており、支援を嫌がるのは表面的という意見にも、浅いといわざるを得ない。

ユーロ成立後、イタリアやスペインが自身の信用力より低い利率で借り入れをしたため、バブルに陥ったことや、更にはユーロ導入後のドイツ自身は移民によるデフレや
低成長により苦しんだことをい理解せず、目先の議論をしているに過ぎない。
そもそも守るべきルールを守っていなかったこと自体が問題である。

対外純資産では国レベルと政府レベルのデータの比較をするなど
全般的に大学生が書いたレベルを脱していないと思われる。
マクロ経済の本質的理解という題名は少し荷が重すぎたように思う。
2019/2/25(月) 午後 8:26 返信する

先のコメントはネットからだが、そのようにも読める。「デフレ」は?物価停滞現象その結果、不都合な経済現象が起きる
2019/2/25(月) 午後 8:31 返信する

それぞれの経済主体がバランスシートの均衡を経済の最適化を図る方向へ、物価安定目標である2%のインフレターゲット達成の努力をすべきだと思う。
2019/2/25(月) 午後 8:43 返信する

マクロ経済の一般的な理解としては良いかもしれないが、現実に置いたときは、それで十分とは思えない。
2019/2/25(月) 午後 8:48

それ自体が大いなる不均衡だからだ。

それぞれの経済主体のバランスシートの均衡、と理解している。
また、それぞれそうごの連関を最適化するシステム。

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このページは、blogskawano.netが2019年2月24日 11:24に書いたブログ記事です。

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