2016年11月19日催された大塚久雄没後20年記念シンポジウム「資本主義と共同体」の成果を一書にまとめたものである。
大塚久雄の没後20年を経て、
現在の世界・社会の有り様を睨みながら、
大塚の学問的な遺産を改めて棚卸しして、
大塚の編み出した様々な概念や方法に積もった塵を払い、
今後も使えるものと補修を施した上で使えるものと、
また、大塚の遺産には足りなかったものをあぶり出そうと言う、
現時点での大塚へ再訪が、シンポジウム参加者に共通した意図であった。
大塚の学問的関心の中心は、
何よりも、封建制の中からいかにして資本主義が発生し、発展し、定着したかと言うことにあったが、
その結果、出来上がった資本主義社会には、何の共通性も存在していないのかのような誤解をしばしば招いた。
確かに、大塚自身も繰り返し明言したように、
資本主義の発展過程は、伝統的な共同体の最終的な解体局面なのである。
また、資本主義・市場経済とは、
各経済主体の間には何の関係もない孤立した状態であり、
それを市場が結果として調整する、
といった通俗的解釈が経済学の世界では、広く受け入れられていた。
大塚から教えを受けた者たちの間では、
近代資本主義社会における、人の共同性を否定する事は、大塚の真意ではなかったと回想される。
しかし、大塚が実際に書き残したものは近代人の独立・自尊・自発性を強調し、また、近代人の隣人愛の実践に注目はするが、近代人の共同生・社会性については、「共同体の基礎理論」のようにまとまった形では明瞭な議論を示していない。
そこで、大塚遺産を、コモンウィール、アソシエーション(協同性)、国民経済、国民と国家、宗教コミュニティと言う5つの、
いずれも近代の共同性に関わる主題に即して、棚卸しして、資産評価することを試みたのである。
その結果、どのような評価がなされたかは、全体を読みいただくほかはないが、おそらくは、大塚が残した概念や方法の現在における静態的な価値だけでなく、大塚が近代資本主義の形成過程を認識する際に、より広くは経済を歴史的に把握する際に、戦前、戦時、戦後、高度経済成長と大学紛争期、そして高度成長が終焉し、「バブル」を経験するに至るまでの日本において、いかなる問題意識を持続されてきたか、
その学問的営為の基礎的な動因や関心事にまで評価は及んでいる。
その意味で、本書は単なる遺産評価ではなく、今、大塚の学問の成果を動体的に継承しうるとしたなら、何を考えるべきかについての、現時点での覚書と言う性格を有するものだ。
そのことに何らかの意味があると考えているのだが、
日本の経済学・歴史学をはじめとした人文社会科学の世界で既に半ば以上、忘れ去られつつある大塚久雄を取り上げた書物を刊行するのが、現今の出版界の状況では、決して容易なことでは無いとは、想像に難くないが、ここに、やっと刊行にこぎ着けたのである。
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