歴史・文化散策の最近のブログ記事

霞ヶ浦における河岸の成立 

・河岸成立の時期は場所によってまちまち 

・中世から霞ヶ浦沿岸には「津」が発展し栄えた 

・元禄3年に行われた河岸吟味では霞ヶ浦(西浦)で6つ、北浦で9つの河岸を幕府が把握 

・明和・安永期の河岸吟味では霞ヶ浦(西浦)で5つ、北浦で28つの河岸が幕府に把握され、運上金が課せられる 

・木下河岸は両方の河岸吟味で対象になる 

 

霞ヶ浦を介して運ばれたもの 

・年貢米(俵物)のほか、日常的に必要な物資が運ばれたのか 

・肥料(金肥)や塩、樽を使う醤油や酒、材木・薪など、大量輸送の必要な荷物や重い荷物は船で輸送 

・日常的に使うかくちの品も複数に上げされた(土佐節、土佐半紙、伊予砥) 

 

霞ヶ浦水運の様相 

・江戸時代後期には、本数・束数ともに10万本以上の薪が江戸の問屋へ出荷/船賃は年間約150 

・輸送を担っていたのは、石田河岸の持ち船以外にも、各河岸を拠点とする船頭(兼船持=小船持) 

・問屋に属さない自由な小船持が河岸問屋の経営を脅かしたと理解されていた、しかし、各地の河岸からやって来る小船持こそ霞ヶ浦水運の担い手/問屋とは協調と相克/小船持は石田河岸への物資を運び、その後河岸問屋にの差配を受けて江戸へ薪を輸送した 

 

霞ヶ浦水運の流通秩序 

・歌詞はお互いの利益を守り、物資の流通を円滑に行うため、たびたび規則(流通秩序)を設けた 

規則の主な内容 

・運賃の規定 

・船の延着や江戸での長期停泊の制限、 

・過積載の禁止、 

・送り状に記された荷物(貸し問屋が把握している荷物)以外の積載禁止、 

・難船時の対応方法や積荷の損害補償、 

・定期的な会合の開催 

仲間内が「損」をしないために設定するものが、流通秩序/船賃の設定や積荷の損傷など、水運特有の問題をクリアするために設定された/仲間内で独自の事を作り出すと言う自律性 

霞ヶ浦水軍(+利根川中・下流域)において、難船が大きなリスク 

 

まとめ 

・霞ヶ浦の水運は古くから利用されてきたが、河岸が把握されたのは元禄3(1690)/霞ヶ浦(西浦)6つ、北浦で9つの 河岸を幕府が把握 

・明和・安永期:霞ヶ浦(西浦)5つ、北浦で28つの河岸に、幕府が運上金を課す。 

河岸問屋(ないし河岸)に株が与えられる。 

・水運は年貢米の輸送が中心で、その後、商品荷物も多数運ばれた。 

霞ヶ浦を介して、肥料(金肥)がもたらされ、農作物の栽培が活性化/薪や材木、特産である醤油などは霞ヶ浦を介して出荷 

・薪の場合、江戸時代後期には例年本数・束数ともに10万以上が江戸へ出荷 

・石田河岸の薪輸送を担っていたのは、他の地域からやってくる船頭(小舟持) 

河岸問屋と協調・相克/各地からの物資をもたらし、石田河岸の薪を帰り荷として運んでいく。 

・河岸は互いの利益を守るために、仲間を結成/規則を設定=流通秩序 

・新たな稼ぎを禁じたり、船賃を設定したり、難船の賠償方法を設定したりすることで、水運特有の課題をクリアすることを目指した。 

仲間内で独自に流通秩序を設定する自律性を持ち合わせる。 

・江戸時代以降、水運を巡る体制は大きく変化する。 

 株の無効化/明治政府指導企業による支配(陸運元会社、内国通運会社)/鉄道の登場。 

霞ヶ浦水運は、物資を運ぶだけではない転換をしていく。 

利根川文化研究会会報 47


赤堀川の改修事業について(概要メモ)




文化期の赤堀川開削について




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(一般的な利根川東遷事業の経過)

 利根川東遷事業は、徳川幕府の大規模な河川改修プロジェクトでした。以下はその時系列での詳細な説明です:

  1. 元禄11年(1698年):幕府は利根川の水害対策と水運の改善を目的として、利根川東遷事業を開始しました。この計画は、江戸の水害を減らすとともに、水運の効率化を図るために利根川の流路を変更することを意図しています。

  2. 元禄14年(1701年):利根川東遷事業の具体的な計画が策定され、工事が本格的に開始されました。この時期には、利根川の上流部の調査が行われ、新たな流路の構築計画が立てられました。

  3. 宝永元年(1704年):利根川の上流から下流までの全体の計画が完成し、工事が着実に進行しています。河川工学の知識や技術が結集され、堤防の築造や川床の改修が行われました。

  4. 享保4年(1719年):利根川の新しい流路が一部完成し、水の流れが徐々に変化しています。これにより、一部の地域で水害の被害が減少し、水運の効率も向上しています。

  5. 宝暦3年(1753年):利根川東遷事業は、約55年の歳月を経て完了しました。利根川の新しい流路が全面的に整備され、幕府の目的である水害の軽減や水運の改善が実現されました。

 以上の経過ですが、歴史事象の真偽、さらに、詳細な経過を探求し、事業、施策の成果、評価等、史料改題に基づき詳細に考察しているているのが、原論文です。

世界史とは何か、どう伝えるか、世界史を学ぶ  小川幸司 著 岩波新書
 歴史総合を学ぶ③



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世界史を学ぶ  小川浩司 著 岩波新書




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利根川文化研究会

 

日時 20231118日(土)12:3016:45(幸手駅で集合・解散)

巡検「権現堂堤付近巡検」

 

集合場所・時刻 東武日光線・幸手駅改札口付近 12:30

案内 黒川雅彦

 

2023 11 18 日  権現堂堤付近巡検

1 歩行距離 約 69km

2 東武日光線幸手駅東口 12 40 分出発

東武日光線幸手駅西口 16 39 分着(市内巡回バス利用 高須賀池公園発 1610

※バスに乗車できない場合は、幸手駅へ 2.8km徒歩になる可能性あり

3 見所等

幸手市街日光街道、

葛西用水支流

北側用水路と権現堂川用水路、

権現堂堤巡礼樋管付近

御幸堤碑、

外国府間地内日光街道、

島中領囲堤、

狐塚押堀跡、

高須賀池(押堀)

 







(利根文化研究会) 2023-9-17

19世紀以降の羽生領等3か領の排水処理問題 赤堀川拡幅問題との関係で


原 淳二さん講義メモ

問題設定

文化・天保期に行われ、また行われようとした赤堀川拡幅について、その同時期に羽生領など、3か領での悪水処理問題が起こっていると言うことで、何らか双方に関係があるのではないか、と言う疑問、

ただ史料を読んでいきますと、両者に直接の関係は無いようです。(もし権現堂堤の保全に絡んで、享和期い幸手領から積極的な動きが認められないとすると、文化5年末に始まった赤堀川拡幅は、渇水期の中利根川流域での舟運円滑化を主目的にしたことなのかもしれない。

今日は享和期から天保期に話が及ぶので、何回かに分けて話を進める。

羽生領水利史

河川水利文書

 

悪水と赤堀川の拡幅

権現堂堤の保全

 

今回の主題

1、赤堀川の水利機構について

2、権現堂川の河床変化

3、宝暦24年にかけての羽生領による島川への逆水除門樋の設置について

4、島中川辺領の悪水処理について

5、向川辺領の悪水処理について(これは享和期以降の話となり、次回に続く)

 

島川の逆流

中利根川赤堀川の拡幅

(堤北側)羽生領排水対策

天明3(1783)浅間山噴火→河床上昇→たびたびの洪水

天明6年 洪水決壊→手伝い幕府大名御普請 享和2(1802)破堤

その後復旧

(幸手領)

寛政6(1794)防災体制強化

・堤防強化

・待機場所

・小屋(防災)

 ↓

 30年破堤していない

 

 

A、排水路反対 文政13〜天保4

B 、排水路を設けない代わりに権現堂川を閉鎖→赤堀川へ 文化6(1809)拡幅 権現堂川の負担軽減 幸手と島中川辺領の争論 天保7年 排水路は設置しない

C、堤防北側(向川辺、島中川辺)

  堤防に排水路を設けなくとも排水路を確保する

 

天保元年(1830)

権現堂堤一部に樋を埋め込む(四角い木製の排水管

 ↓

幸手領側は弱体させるので反対

 ↓

天保14年 江戸防衛の共通認識

 

 

この時期の幕府の治水政策と合致

享保以来河川敷を開発し、そこから年貢を徴収しようとする政策、

しかし、18世紀の後半、水害多発により川の洲の除去、河岸の葦刈り、水の流れのスムーズ化へ転換した。

19世紀初めの頃(治水政策の転換)

天保13年、権現堂堤に同年。12月排水管を設置し、

この変更(天保47年の判断を変えた)は、幕府農政から説明は可能であった。幕府領からの年貢増徴収政策へ

 ↓

数十年に1度の大水害に備えること、

堤防を維持することにより

堤防北側の村々の排水を改善し、農業生産を向上させ、年貢徴収につなげようとした(推測)

弘化3(1806)堤防破堤、本所、深川浸水、

幸手領、堤防南側の組合村が危惧していたことが現実化

結果、江戸を洪水から守れなかったが、洪水は幕府にとっては許容範囲であった可能性

地域社会の内部の対立

堤の私的利用。

組合内部の対立(強硬派と硬軟派の対立、農・漁業 舟運の阻害要因

 

柄谷行人の「力と交換様式」的史的唯物論について chatGPTと質疑しました。

  マルクスの史的唯物論は生産力と生産関係が政治社会的な上部構造を規定するとあります。 柄谷さんはどんな社会を想定しているのでしょうね。 

  ChatGPT 
 柄谷行人は、自身の著書「力と交換様式」および「世界史の構造」において、特定の理想的 な社会を想定しているわけではなく、むしろ異なる歴史的段階や社会構造の分析を通じて、 歴史の変遷や社会の構造を理解しようとしています。
 彼は特定の社会体制や理想社会の実現 を目指すことよりも、社会の発展や矛盾を解明することに焦点を当てています。 
 具体的には、柄谷行人は異なる交換様式とそれに伴う社会的変化を調査し、それぞれの交換 様式が特定の歴史的段階や社会的特性に関連付けられることを示唆しています。
 彼のアプロ ーチは、歴史的な事実とパターンに基づいて、社会の変遷を理解しようとするものであり、 特定の理論的な社会モデルを提供するものではありません。 
 言い換えれば、柄谷行人は特定の理想社会の設計や目指すべき社会形態を提示するのでは なく、歴史と社会の複雑な相互作用を探求し、経済と社会の関係に焦点を当てて理解しよう としています。
 彼のアプローチは歴史の理解と社会の解剖学的分析に中心を置いており、特 定の社会像の提供よりも、社会の発展の構造とメカニズムを説明することに力点が置かれ ています。
世界史とは何か、「歴史実践」のために    小川幸司 著  岩波新書




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「世界史の構造」「力と交換様式」   

              柄谷行人 著 岩波書店

 

本の概要

1970年代後半から文芸批評家として活躍し、90年代後半からはマルクスやカント、ホッブスの読解から「交換」に着目した理論で社会や歴史を読み解いてきた柄谷行人さん。

 

その集大成ともいうべき『力と交換様式』では、社会システムを

A=贈与と返礼の互酬、

B=支配と保護による略取と再分配、

C=貨幣と商品による商品交換、

D=高次元でのAの回復

という4つの交換様式によって捉え、とりわけ資本主義=ネーション=国家を揚棄する、人間の意思を超えた「D」の到来をめぐって思考を深めた。

 

Aの回復としてのDは必ず到来する」。

民主主義と資本主義が行き詰まりを見せる混迷の危機の時代、

絶望的な未来に希望はどう宿るのか。その輪郭はどのように素描可能か。

『世界史の構造』、そして『力と交換様式』を貫く「交換様式」の思考の源泉に迫る。

 

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『世界史の構造』 

  柄谷氏は、氏族社会、古代国家、世界帝国、普遍宗教、近代国家、産業資本、グローバリゼーションへと世界史の流れを見渡し、「交換様式」から社会構成体の歴史を見直し、以下の4つの交換様式の変遷として整理する中から、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうと試みています。

 

 交換様式A:互酬制(氏族社会)

 交換様式B:略取と再分配(アジア型帝国、古典古代、封建制社会etc.

 交換様式C:商品交換(資本主義社会)

 交換様式D:バージョンアップした互酬的交換(普遍宗教)

 

 ごく平たく言い直すと、人間がつくる社会において、経済的関係のパターンは、贈与(贈り、贈られる)、略取(権力を背景に奪い、再分配する)、商品交換(お金を介して取引する)のいずれかになる。

 そして商品交換の様式が支配的になり、その齟齬が大きくなった現代社会の先に、互酬的交換がバージョンアップした形態が登場することを予期している、という話です。



「力と交換様式」

 柄谷行人氏流の唯物史観を分かり易く概説した本だと思います。

  マルクスの『資本論』の中に、現段階の産業資本構造(社会構成体)の下部構造におけるキーコンセプトとして、生産様式だけでなく(多くの学者が見逃していた)交換様式が重要であることを明解に指摘しており、それを織り込んだかたちでこれからの社会変革の道筋を考察しています。

 1970年代後半から文芸批評家として活躍し、90年代後半からはマルクスやカント、ホッブスの読解から「交換」に着目した理論で社会や歴史を読み解いてきた柄谷行人。

 その集大成ともいうべき『力と交換様式』では、社会システムを

A=贈与と返礼の互酬、

B=支配と保護による略取と再分配、

C=貨幣と商品による商品交換、

D=高次元でのAの回復

という4つの交換様式によって捉え、とりわけ資本主義=ネーション=国家を揚棄する、人間の意思を超えた「D」の到来をめぐって思考を深めている。

Aの回復としてのDは必ず到来する」。


史的唯物論に照らすと

  1. A=贈与と返礼の互酬: この交換様式は、比較的初期の社会形態である共同体や部族社会に対応します。こうした社会では、人々のつながりや信頼が贈与と返礼の互酬によって築かれます。結びつきが小規模で密接なものであるため、共同体の維持と発展が重要です。
  2. B=支配と保護による略取と再分配: この交換様式は、支配者と被支配者の関係が顕著な階級社会や封建社会に対応します。支配者が支配される者から資源を略取し、再分配することで社会的な秩序を保っています。こうした社会では支配と被支配の対立が中心となります。
  3. C=貨幣と商品による商品交換: この交換様式は、近代資本主義社会に特有です。商品交換や市場経済が中心で、個人の自己利益追求が活発です。資本主義の下では、生産の拡大や利潤追求が社会の中心に位置し、経済的発展が進行します。
  4. D=高次元でのAの回復: この交換様式は、より広いスケールや複雑な社会においても、贈与と返礼の互酬の原則が活用されることを意味します。これは、大規模で多様な社会が共存し、結びつきを保つために、贈与と返礼の構造が適用されることを指します。

  

「力と交換様式」では、交換様式を通じて社会の変化を説明しようとしていますが、それぞれの交換様式が特定の歴史的な出来事に直接結びつくわけではありません。代わりに、これらの様式が異なる社会の発展段階や特性に対応し、経済的な要因が社会構造や関係に与える影響を理解しようとしています。

  もし、特定の歴史的事象に関する詳細な説明が必要であれば、その事象に関連する具体的な歴史的文献や資料を参照することをおすすめします。柄谷行人の理論を歴史的事象に適用する場合も、その理論を基に考察を行うことになるでしょう


民主主義と資本主義が行き詰まりを見せる混迷の危機の時代、

絶望的な未来に希望はどう宿るのか。その輪郭はどのように素描可能か。 

 

 柄谷氏の独自の見方と立場が明晰に示されているユニークで貴重な書籍です。

「自由な思考」の典型例で、独自の視点で(通説とは異なる)未知の認知領域を探索する研究者にとって示唆に富む良書だと思います。

  

 ただし、交換様式Dについて多くを望むと期待外れに終わるかも知れません。

 

  未知の領域の開拓は若い世代に委ねられていますね。







2023-8-19 オンライン利根川文化研究会 

 

日時 2023819日(土)16:00~ 1時間程度

内容 研究報告と情報交換会

報告 原淳二氏「文化年間の赤堀川改修事業」


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赤堀川切広之図 

木下まち育て塾

 2023-7-46  印西中央公民館
 江戸時代の利根川河川改修について
 千葉県立関宿城博物館  尾崎 晃 さん


講演メモ




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関宿城博物館展示





JR津田沼南口 ESG/SDGs戦略の再開発事業について






 研究的なスタンスによるもので、表記のようなESG/SDGs戦略を実現する観点から、習志野の音楽のまち実現に向けて、お話ししています。  協働目的のために、行政のやること、民間がやることをきちんと開示・説明し、市民の皆さんに事業成果を享受してもらうために、この事業過程についてのモリタリングをしていただきたいです。


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2023-5-21 まち育て塾 市民歴史講座
明治初期における千葉県の内陸輸送ネットワークの展開
講師:物流博物館学芸員 玉井幹司さん
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2023-5-17 木下まち育て塾「館林」巡見

見学対象・見学順に
(館林駅東口に集合。徒歩で毛塚記念館へ)
1 毛塚記念館(分福酒造店舗 江戸末期建設、1999年保存修理。国の登録有形文化財)
  外観のみ見学   【10:40〜10:50】
(徒歩で移動。見番で館林市の岡屋さん・井坂さん・神藤さんと合流。)
2 見番(旧館林二業見番組合事務所1938年建設、現在は地区の集会所、
国の登録有形文化財)短時間で内部も見せていただく  【11:10〜11:30】
{②'長屋門(市内野辺町の旧松澤家長屋門/豪農の長屋門を旧城下町鷹匠町に移転改修整
備)}
○(昼食)館林うどん本丸(おすすめの「なまず御膳」と「お母さんにこにこセット
」)
                    【11:40〜12:40】
(徒歩で武鷹館に移動)
3  武鷹館(鷹匠町武家屋敷=旧館林藩士住宅/長屋門/付属住宅)
文化財ボランティアの会が管理運営
   旧館林藩士住宅 江戸時代後期建設 市重要文化財/1999-2001年に解体移築
   長屋門・付属住宅 大正・昭和初期建設/2002-2003年に現地で解体改修
   【13:00〜13:30】
(車で移動)
{第二資料館(市史編纂センターと以下の2棟④④')}
4 旧上毛モスリン事務所(1909年建設 群馬県指定重要文化財/1981年に現在地に移築
保存)  館林市第二資料館として公開        【14:00〜14:40】
{④' 田山花袋旧居(江戸時代後期建設の武家住宅 明治前期に花袋が居住 館林市指定
文化財/1981年に城町から現第二資料館内に解体移築。
道路を挟んで田山花袋記念文学館開設)}

(車で移動)
5 つつじが岡ふれあいセンター<つつじ映像学習館(入館料500円9:00~17:00)
      映像は15:00〜15:20 【14:50〜15:30】
(車で移動)
6 榊原康政の墓(善導寺内 県指定史跡 康政は徳川四天王の一人 家康の江戸入りで
館林城主に) 蛇足:「どうする家康」で演じるのは杉野遥亮。 【15:50〜16:20】
(車で館林駅まで) 
{⑦ 製粉ミュージアム}{⑧ 正田記念館・文庫蔵・6/8号蔵}の解説は割愛します。
(館林駅)

利根川文化研究会 オンライン例会
次第
 日 時  2023年3月11日(土)16:00~ 1時間
 内 容   今後の予定 5月13日(土)幸手巡検(荒天時順延)
       6月10日(土)総会および研究会開催予定(対面?オンライン?) 


 報告
  加須市所蔵大鹿一郎氏寄贈の(仮称)「詳細浅間川及び周辺河川図」 について(第 1 報)
 葛西用水路土地改良区琵琶溜井記念館ボランティア 黒川雅彦さん
 加須市所蔵大鹿一郎氏寄贈の仮称「詳細浅間川及び周辺河川図」(以下「詳細浅間川及 び周辺河川図」という)は、旧大利根町で編纂された「大利根町史資料編(下巻)」の口 絵および「図録 大利根町のあゆみ」の P36にて紹介された絵図(以下「町史絵図」 という)で、町史編纂時は大鹿一郎氏所蔵だったが現在は大利根町に寄贈され、合併後 の加須市が所蔵している。 今回、市生涯学習課の好意により、現物を調査する機会に恵まれたので、調査結果に ついて報告された。


 
 巡見について
 2023 年 5 月 13 日権現堂堤付近巡検 1 歩行距離 約 6.8km 2 東武日光線幸手駅東口 12 時 40 分出発 東武日光線幸手駅西口 16 時 41 分着(市内巡回バス利用(別紙)




会誌46 が届いています


  
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2023-2-7 「通心」ネットワークで「卒論」が話題となり、
久しぶりに、当時の資料「マルク・ブロックの封建社会」関連の研究状況を調べてみた。







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2023-1-21 利根川文化研究会例会

日時 2023 1 21 日(土) 16:00

形式 Zoom によるオンライン例会

報告 原淳二氏「文化6年・赤堀川拡幅の意味」

情報交換会

コロナの影響を受けて実施できていない巡検について

・千葉県銚子市(川名氏案内、2023 年 春 o r 秋? ?)、

・黒川氏 案内 の 用水関係

・埼玉県ふじみ野市(酒井氏案内)



(報告資料の概要)

赤堀川という名称の河川は関東地方にもいくつかあるが、ここで対象とするのは元和七年(1621)に開削整備された人工河川の赤堀川である

赤堀川は、寛永二年(1625)にも拡幅され、渡良瀬川をあわせた 上利根川の水流を権現堂川とともに分かち、「常陸川」(中・下利根川)と関宿城下の逆川へ流下させる役割を担った。

逆川の水流は、寛永一七年(1640)に江戸川が開削されると、権現堂川からのを合わせて江戸川へ流下した。

また、逆川は権現堂川の満水時の水流を一部逆流させ、中利根川へ流すこともあったしかし、この現象は中利根川の河床が高くなると起きにくくなった)

その理由はともかくも、幕府はこの複雑な水理機構を構築したわけだが、その後の河川状況の変化により、様々な問題を内包することになった。

 

幕府は赤堀川を承応三年(1654)にも拡幅するが、その後、川幅は自然に広がるに任せ、一五〇余年を経た文化六年(1809)になって新たな改修を迫られた。

これはよく知られた出来事であるが、関連史料が乏しいこともあり、その目的や意義について意見が分かれている。

これは、地域的利害が相反する中・下利根川や江戸川への分水量に関わることで、その評価が難しいからである。(はじめにより)


以下、(略)

1、文化六年(1809)の拡幅に関する言説や近年の研究

  2、 拡幅へ至る大まかな経緯

 3 、村の出した請書

 4 、文化六年(1809)赤堀川の拡幅以前と以後の赤堀川・権現堂川・逆川・江戸川への分水関係を確認する必要がある

(まとめ)

 幕府は、外圧が増す中で都市騒擾の発生を恐れ、江戸や近辺での水害を警戒する。

また、 江戸の物流路としての内川廻しを維持する必要も一段と高まってきた。

それが文化 6年(1809) の赤堀川拡幅へと繋がるが、

中・下利根川流域での河川改修を伴わないそれは、十分な成果をおさめることが出来なかった。







家康、江戸を建てる




伊奈忠治 利根川治水



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負債論 貨幣と暴力の5000年

 デビット・グレーバー


 

『負債論』は21世紀の『資本論』か?

 

重厚な書として異例の旋風を巻き起こした世界的ベストセラーがついに登場。
現代人の首をしめあげる負債の秘密を、貨幣と暴力の5000年史の壮大な展望のもとに解き明かす。資本主義と文明総体の危機を測定し、いまだ書かれざる未来の諸可能性に賭ける、21世紀の幕開けを告知する革命的書物。

 

人類にとって貨幣は、交換という利便性の反面、バブルなどの破局に向かう幻想の源泉でもある。人類史的な視座から、このような貨幣の本質からリーマン・ショックやギリシア・デフォルト問題などの国際的金融的危機を解明する壮大な構想を展開する。産業資本が衰退し、金融資本が質的、かつ量的に拡大する今日、現代資本主義を理解する上で必読の文献である。

 

(書評)

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これからの時代を生き抜くために
文化人類学入門 奥野克己 著 辰巳出版

「人新世」というかつてない時代を生きるには、
《文化人類学》という羅針盤が必要だ。


ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」と行動をともにしてきた人類学者による、
"あたりまえ"を今一度考え直す文化人類学講義、開講!!

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【内容】
本書は、ボルネオ島の狩猟採集民「プナン」との日々を描いたエッセイ『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』が話題となった人類学者・奥野克巳による、私たちの社会の"あたりまえ"を考え直す文化人類学の入門書になります。
シェアリング、多様性、ジェンダー、LGBTQ、マルチスピーシーズ...といったホットワードを文化人類学の視点で取り上げ、《人新世》と呼ばれる現代を生き抜くためのヒントを、文化人類を通して学んでいく一冊です。

【構成】
◆第1章 文化人類学とは何か
地球規模の時間で人類を考える/「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」/ここではないどこかへ――外の世界を知り、己を知るための学問/異文化への関心と旅の時代――文化人類学はいかにして誕生したのか/現地調査と系図法の発明/人類学者マリノフスキとインディ・ジョーンズの知られざる出会い/フィールドワークによって描かれた『西太平洋の遠洋航海者』/藪の中のシェイクスピア/「自分に近いものはよく見えるが、遠く離れたものはよく見えない」/結婚と離婚を繰り返すプナン/多種多様な家族のあり方/近親相姦の禁止が「家族」と「社会」を作った!?/人間生活の現実を描く/人間の生そのものと会話する

◆第2章 性とは何か
自然としての性、文化としての性/さまざまな生き物たちの多様な性/正直者とこそこそする者の生存戦略/子殺しをするラングール/ボノボの全方位セックスは「子殺し」回避のため?/霊長類における発情徴候の有無/なぜ、ヒトには発情徴候はないのか?/生物進化の産物としてのホモセクシュアル/精液を体内に注入し男になるサンビア社会/複数の父親がいるベネズエラのバリ社会/セックスでは子どもはできないと考える人々/「性肯定社会」と「性否定社会」/「性の楽園」ミクロネシア/性を忌避するグシイ社会/女性の性器変工の是非/男性の性器変工に見る民主的快楽/死者と交わる儀礼的セックス/五つもジェンダーがあるブギス社会/近未来のセックス――宇宙でセックスすることは可能か?

◆第3章 経済と共同体
贈与と交換から人間の生き方を考える/狩猟採集民プナンの暮らしから/ランプの下で神話を聞く/歩く小屋の神話の謎/富を生み出すフンコロガシの神話/惜しみなく与えるマレーグマの神話/プナンの気前のよさはどこから来るのか/気前のよさと所有欲との葛藤/「ありがとう」という言葉を持たないプナンの人たち/プナンは平等であることに執拗にこだわる/喜びや悲しみもみんなで分かち合う/所有することの是非/気前のよいビッグマンがプナンのリーダー/ものを常に循環させる「贈与」/キエリテンの神話が語るリーダーの資質/糞便の美学/「ない」ことをめぐって/「贈与の霊」の精神が生み出すプナン流アナキズム/循環型社会の未来を考えてみよう

◆第4章 宗教とは何か
人間が人間であるために欠かせない「宗教」/なぜ卒業式をしなければいけないのか/挨拶という儀礼的行為/時間はどのように経験されるのか/時間は本来、区切りのない連続体だった/儀礼によって私たちは人生を生きる/時間の感覚に乏しいプナン/文化人類学の理論「通過儀礼」/東ウガンダの農耕民ギスの苛酷な成人儀礼/ボルネオ島先住民ブラワンは二度死体処理をする/バリ島民は海で泳がない/人間が人間であるためには/無礼講のコミュニタスが日常を活性化する/ヨーロッパ人の関心を掻き立てたシャーマニズム/脱魂と憑霊のシャーマニズム/世界各地に存在するシャーマニズム/シャーマニズムの弾圧と再評価/現代の都市住民のためのネオシャーマニズム/自閉症の少年を癒すシャーマニズム/二つの世界が往還するアニミズムの世界観/人とカムイと熊が一体となるアイヌのアニミズム/知られざる呪術の世界を分類してみる/邪術師は誰だ!?――邪術告発の事件/妖術は不幸を説明する/現代にも息づく呪術の世界/別の仕方で世界に気づく術

◆第5章 人新世と文化人類学
文化人類学は自然をどう捉えてきたのか?/動物は「考えるのに適している」/動物は「食べるのに適している」/動物は「ともに生きるのに適している」/多種が絡まり合う世界へのまなざし/オオコウモリ、果樹、人間の絡まり合い/ハゲワシ、牛、病原体、人間の絡まり合い/人新世の時代に多種から考える/人間中心主義を問い直す――人類学の存在論的転回/存在論的デザインとは何か/「デザインしたモノによって、デザインし返される」/多種が作り上げる未来に向けて開いていく

◆第6章 私と旅と文化人類学
自らを野に解き放つ「旅」としての文化人類学/Mさんとの出会いと「日本脱出」の野望/メキシコ・シエラマドレ山中のテペワノへの旅/バングラデシュで出家して仏僧となり、クルディスタンを歩く/インドネシアでの一年間の放浪/二つの文化人類学のフィールドワーク/旅の経験は、自分も他者も変える


【メディア情報】
プレジデントオンライン(2022年7月7日)にて記事掲載
日刊ゲンダイ(2022年7月27日)にて記事掲載
毎日新聞(2022年8月13日)にて記事掲載
PHPオンライン衆知(2022年8月18日)にて記事掲載
朝日新聞(2022年8月27日)にて記事掲載
週刊新潮(2022年9月15日)にて記事掲載
NHKラジオ第一放送「マイあさ!」(2022年10月9日)に著者出演

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