歴史・文化散策の最近のブログ記事

砂糖の世界史


364181575_595638662745819_7910669392697125542_n.jpg

砂糖は歴史を動かす重要な商品であり、その生産と貿易は世界各地で大きな影響を与えました。

砂糖の始まり: 16世紀以降、砂糖は世界の商品となり、巨大な利益を生み出す競争が始まりました。1

ヨーロッパへの砂糖の導入: ポルトガル人がアフリカから黒人奴隷を連れてきてブラジルで砂糖プランテーションを始め、16世紀にはブラジルが世界の砂糖生産の中心となりました。2

カリブ海の砂糖生産: 17世紀にはカリブ海が砂糖生産の中心となり、アフリカ人奴隷を大量に導入した「砂糖革命」が起こりました。3

紅茶と砂糖の普及: 砂糖は紅茶やコーヒーとともに広まり、特にイギリスでは貴族から庶民にまで普及しました。4

コーヒーハウスの文化: 17世紀後半から18世紀にかけて、イギリスの都市でコーヒーハウスが情報の中心となり、近代文化が育まれました。5

茶とコーヒーの普及の違い: 紅茶はイギリスで広まり、コーヒーはフランスで普及しました。アメリカでは独立後にコーヒーが主流となりました。6

砂糖と奴隷貿易: 18世紀にはイギリスが砂糖と奴隷貿易を通じて世界貿易の支配権を握り、豊かな社会を築きました。7

ビートの挑戦: 砂糖きび以外の砂糖生産方法としてビートが開発され、現代の糖生産の60%を占めていますが、砂糖の歴史的使命は終わりつつあります。8

ドキュメントの概要

このドキュメントは、複数の出版社による世界史関連シリーズの詳細情報と、歴史研究の方法論について説明しています。

中央公論社 - 「世界史」シリーズ: 1950年代に発行され、1990年代と2000年代に改訂版が出されたこのシリーズは、西洋と日本の関係を重視し、読みやすく信頼性が高い内容が特徴です。12

筑摩書房 - 「筑摩世界文学大系」内の世界史関連書籍: 1960年代以降に発行され、文学作品を通じて異なる文化や歴史的背景を理解することを目的としています。34

平凡社 - 「世界歴史大系」: 1970年代に発行され、古代から近代までの世界の歴史を系統的にまとめ、視覚的に理解しやすい内容が特徴です。56

河出書房新社 - 「世界歴史」シリーズ: 1970年代に発行され、特定の地域や時代に焦点を当て、学術的視点と一般読者向けのアプローチを兼ね備えています。78

岩波書店 - 「世界の歴史」シリーズ: 1980年代に発行され、政治、経済、文化の相互作用に重点を置いた信頼性の高い内容が特徴です。910

講談社 - 「興亡の世界史」シリーズ: 2000年代から現在も続くこのシリーズは、各地域や文明の興亡を通じて世界の歴史を捉え、豊富な図版や地図が使われています。1112

岩波書店 - 「新・世界史」シリーズ: 2020年代に発行され、グローバルな視点から人類の歴史を再構築し、環境史や科学技術史など新たな視点を盛り込んでいます。1314

文献学(テキスト批評): 歴史的文献の信頼性を評価し、内容の正確性を確認するための方法論です。1516

社会史的アプローチ: 社会の構造や個人・集団の生活を中心に歴史を理解するための方法論です。1718

経済史経済の要因が歴史的出来事に与える影響を探るための方法論です。1920

13935024_1115343425215437_7768044815578370788_n.jpg


戦後の「世界史」シリーズ解題

「世界史」シリーズ.pdf

歴史研究の目的、具体的な側面や実例を交えて説明します。

研究目的事例.pdf











やや楽観的にすぎる歴史観だが読書の満足感は味わえるかも


著者について、

            グレーバー教授は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学教授であり、負債論』や『ブルシット・ジョブ』などの著書のある研究者で2020年に亡くなっています。ウェングロウ教授は、ロンドン大学の考古学研究所に所属していて、比較考古学がご専門です。
 本書の英語の原題は The Dawn of Everything であり、2021年の出版です。邦訳タイトルは、ほぼほぼ直訳です。
 本書は文字記録の始まる前の先史時代、すなわち有史以前の人類史を捉え直そうとする試みです。

    ですので、歴史学者ハラリによる『サピエンス全史』、進化心理学者ピンカーの『暴力の人類史』、また、進化生物学者ダイアモンド教授の一連の著作などと同じ試みといえます。もっと大昔でいえば、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』とも相通ずるものがありそうです。ゴーギャンの名画 1D'où venons-nous? Que sommes-nous? Où allons-nous? = 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか とよく似た問いに対する回答を試みています。


 上下2段組で解説や参考文献まで含めて700ページ近いボリュームであり、すべてを的確に理解できたかどうかは自信ありませんが、それなりのインパクトある読書になることは確かです。

    ただ、有史以前からの人類史とはいえ、歴史的なモデルは置かれています。近代的な経済社会においては、国家が成立して議会・政府・裁判所が三権分立し、国内治安を維持するための警察、対外的な安全保障のための軍隊などを備え、基本的人権などの前に所有権などの制度的な諸権利が確立するわけです。その前の状態をホッブズとルソーの2つの自然状態に関する人類観とでも呼ぶべきモデルを示します。すなわち、ホッブズは、人々は孤独で貧しく辛く残忍で短い、という、いわゆる「万人の万人に対する闘争」と考える自然状態のモデルを提示し、人類とは凶暴で争い好きな存在として描き出します。
 逆に、ルソーは、農業と冶金の勃興を機に土地が分割されて私的に所有され、しかも、貴金属の蓄積と支配隷属関係が始まってしまうんですが、その前の段階では、豊かな実りを採集できる森で小さな集団にしか属さなかった野生人は、欲望を競わず平等かつ平穏に暮らしていた、という自然状態のモデルを示し、人類とは自由で平等な無邪気な存在であるとします。
 その上で、ホッブズ的にいえば、社会契約によって人類の本能を権力サイドから抑圧することとなり、ルソー的にいえば、本来の自由を犠牲にしていろんな制約に服することになります。
 そして、本書の重要な観点は格差とか不平等という経済的な見方です。すなわち、先史時代には原始共産制のような平等な経済社会であったにもかかわらず、文明の発達が不平等に道を開いた、というのが『サピエンス全史』なんかで見られる歴史観だと思うのですが、そこに本書は大きな疑問を呈しています。
 現在では例外的な紛争地帯などを別にすれば大きな移動は見られませんが、今の移民どころではない大規模な人口移動が先史時代から有史時代でも大昔にはいっぱいあったわけで、地域選択も自由だったようです。したがって、足による移動で豊かさを追求していた可能性が示唆されています。
 こういった基本的人権のもっとも基礎をなす自由と平等の観点から壮大な人類史の構築を試みた歴史書です。書店や図書館で目にするだけでボリュームに圧倒されて手に取ろうという気が起こらないかもしれませんし、手に取って読んでみてもなかなか理解がはかどらないかもしれませんが、時間をかけてでも挑戦する値打ちのある歴史書といえます。

    多分、解説については、ChatGPTに御厄介になるでしょう。

万物の黎明.pdf

       IMG_0935-thumb-350x233-304.jpg
世界史とは何か③


        「世界史の学び方」

           スケール表記で.pdf
           

歴史像を伝える②


       「歴史像を伝える」     


世界史の考え方①


          「世界史の考え方」

           世界史の考え方.pdf


IMG_3918.JPG




いま、ふたたび自分の存在を問い直すときがきた

image_20241201184801.jpeg


 14歳の少女ソフィーのもとに見知らぬ人物から届いた手紙。そこにはたった1行「あなたはだれ?」とだけ書かれていた......。本書が発行された1995年、日本では阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が相次いで発生し、人々は命の価値と自らの存在意義を模索した。

 そしていま、未曾有の災害が日本を襲った。

 「哲学」は私たちの生きる道を照らすためにある。

 世界50か国1500万人超が読んだ名作が、著者の新たなメッセージを加えて再登場!


グラフィック版.pdf ソフィーの世界

 ある日、少女ソフィーのもとに届いた差出人不明の1通の手紙。そこにはたったひとこと「あなたはだれ?」とだけ書かれていた。それは「哲学」への招待状だった。世界的ベストセラーの哲学ファンタジーがフランスの人気作家によるコミック、バンドデシネになってオールカラーで登場!

目次


上巻

1 あなたはだれ? 
2 神話と自然哲学者たち 
3 原子と運命 
4 アテナイとソクラテス 
5 プラトン 
6 アリストテレス 
7 ヘレニズム 
8 ふたつの文化 
9 聖アウグスティヌス、アヴェロエス、聖トマス・アクィナス 
10 ルネサンス 
11 バロック


下巻

12 デカルト
13 スピノザ
14 経験主義者たち
15 社会契約
16 啓蒙主義とカント
17 ロマン主義
18 マルクス
19 ダーウィン
20 フロイト
21 20世紀
22 ヒルデ
エピローグ


松岡まどか 起業します  安野貴博 

「松岡まどか 起業します」において、主人公の松岡まどか が自ら育成し活用したAIサーバーは、物語の中で非常に 重要な役割を果たします。このAIサーバーは、まどかの ビジネスの成功をサポートするだけでなく、彼女自身の成 長にも大きく寄与します。
新装版 「ソフィーの世界」 読んでみました。




 物語は、ソフィーが不思議な手紙を受け取り始めるところ から始まります。手紙には哲学的な質問や思想が書かれ ており、彼女はそれに導かれる形で哲学の世界に足を踏 み入れます。ソフィーは古代ギリシャの哲学者から近代の 思想家まで、さまざまな哲学の流れを学びます。 



 哲学者たちの思想は、文学作品に対して深遠かつ多面的 な影響を及ぼす重要な要素として広く認識されています。 この相互作用は、文学が単なる物語の伝達にとどまらず、 人間の存在、倫理、社会的な問題についての深い考察を 促す場であることを示しています。


20170830_055857999_iOS.jpg


目次

  1. ▪︎生成AI技術の出現がもたらす社会的、職業的影響について
  2. ①生成AI革命という歴史の転換点
  3. AIによって消える仕事、残る仕事
  4. AIが問い直す創造性の価値
  5. まとめ『人間ならではの感性と創造性の価値が重要視される』


IMG_3901.JPG


2024-11-22
佐倉の国立歴史民俗博物館に行きました。
歴史の未来、過去を伝えるひと・もの・データ
 県下で郷土史料館がない習志野市です。子どもたちの郷土史像形成に重要な必要な施設です。
 市役所庁舎跡地の具体的な活用コンセプトとして、
 歴史の未来、過去を伝える新たな情報センター構想の参考になるのではないでしょうかねえ!
(見学メモ)
「歴史的快挙」、「前代未聞」...私たちは、過去との比較を通して現在を理解します。
過去という存在は、私たちが現在を生き未来へ進むための指標となっています。
記録類や生活道具、語り継がれた記憶など、過去から伝えられたモノは、多くのことを私たちに伝えてくれます。
これらを伝えようとした人びとの営みに注目すると、ありふれた過去の中から歴史的な意義を見出し、未来の人びとに継承する意思があることに気づきます。
私たちも、現代に起きた大災害や「コロナ禍」という過去を記録し、未来へ伝えようとしています。
情報技術(デジタルデータ)の活用はその営みを加速化させ、過去の伝え方も大きく変わろうとしています。
未来の人びとに向けて、私たちはどのような現在を伝えるのでしょうか。
本展示では、歴史を伝えるさまざまな営みを紹介し、未来を見通す手がかりを考えていきます。
私たちがこれから100年後、2124年に伝えたいものは、はたして何なのかを、この展示から考えていけるでしょう。
見どころ
* 地域社会と歴史研究者との対話を通して様々な歴史が再発見される経緯を、そこで見いだされた茨城県常陸太田市の正宗寺・文殊院の実物資料などから紹介する。
* 最新技術を活用した歴史資料のデジタル化事情を知り、歴史を伝える新たな取り組みを体験できる。
過去の消滅 ~危機との対峙~
1 戦後社会と保存運動
2 地域社会の変容と向きあう
3 大規模災害の時代
現代という過去 ~経験の記録~
1 多様化する歴史資料
2 歴史としての社会運動
3 震災の記憶と記録
4 コロナという時代
情報技術の誕生と資料理解の変化
1 資料をデジタル化するということ
2 現物の複製とデータ化
技術の進展とデジタル技法の「いま」
1 国際化する技術と資料
2 「市民」化する技術と資料
未来の歴史資料像と博物館
1 テキストを空間に変換する
2 デジタルで見えること/本物で見えること
3 新たな歴史資料活用の可能性
2024-11-16 利根川文化研究会 木下まちかど博物館で開催。

別サイト参照



蒸気船寄航地図.JPG






6月に松戸市民、50万人達成!。その松戸市は案外と、河川の街でもあります。北海道似の5キロ四方の地形、大きくは、西側に江戸川がとうとうと流れていますが、中央西側部には坂川と新坂川が流れ、東部には富士川・春木川、南部には国分川があります。房総台地の北端にある松戸の地形は台地3分の2、3分の1が低地です。 

 このほど、渡辺尚志(わたなべ・たかし)/松戸市立博物館館長は、『川と向き合う江戸時代―江戸川と坂川の治水をめぐって』を刊行されました。

 これまでの『小金町と周辺の村々』①・『大谷口村大熊家文書から読み解く』②に続く松戸の江戸時代シリーズになります。 

 以下、プロローグなどからご案内ー        

第1章:江戸時代の村・百姓と水とのかかわりを、お話します。   

第2章:江戸川の200キロの治水、水害防止の歴史を取り上げます。               

第3章:下谷地域の水害防止として、坂川が拡張されていく20か村の前半の歴史。                              

第4章:坂川改修の後半、1800年代の掘り継ぎ騒動と合意。     江戸幕府に御普請を嘆願した最初から、56年(1781年~1835年)かかって完成へ。流山の鰭ヶ崎(ひれがさき)から大谷口・古ヶ崎・松戸宿を通り、小山から市川村へと坂川の新水路はできあがる。鰭ヶ崎村名主の渡辺庄左エ門(しょうざえも)は、多額の負担をしています。                              

第5章:新水路完成後の課題。自己負担とは別に、水路への用地や潰れ地への補償では出願のうち12村は、幕府から3600両を拝借。その返済は?、工事関連23か村からは人足負担への軽減嘆願。三代にわたって1000両以上も立て替えた庄左エ門への批判。こうしてできた坂川でしたが、水害を防ぐことは、明治42年(1909年)になってからの樋野口(ひのぐち)排水機場が設けられてから、という。 

 新流路坂川の建設をめぐる近辺の村々の、利害や負担をめぐる顛末、その判断基準など、なかなかの読み物です。具体的なプラン提言や地域指導者の役割、地域社会の利害への対応など、学ぶ報告となります 

 

坂川の改修をめぐってー川と向き合う江戸時代}渡辺尚志館長講演会 11/11

 松戸市立博物館・館長講演会は、渡辺尚志館長により{川と向き合う江戸時代―坂川の改修をめぐって}と題して、11/11(土)、講堂で開催されました。約70人方が、松戸市内にながれる坂川(さかがわの)歴史を学びました。ていねいなレジメには、要点や古文書の現代語訳、カラー地図が記載され、歯切れ良い解説を聞き入ることになりました。以下は、お話の一部をご案内します。 

〇松戸市の地形は、下総台地の上部と下部とに分かれ、下部(下谷・したや)には江戸川や坂川が流れている。戦国時代までは、下谷一帯には人は住まず、耕地もない湿地帯であったが、17世紀(江戸時代前期)になると新たな村(新田・しんでん)が成立した。九郎左衛門(くろうざえも)新田・七右衛門(しちえも)新田の例。集落や耕地ができることで、水害が生まれることになる。                                      〇水害に悩まされ、"三年に一度、米が穫れればよい"と言われるなか、下谷の百姓たちは、17世紀末に開墾が一段落すると、坂川の改修に取り組むことになる。1760年(宝暦10)には、川底の土砂のしゅんせつ、流路の変更、土手の建設などを幕府に願い出る。これは、坂川沿岸の幕府領10か村が幕府に主な負担と百姓自らの負担による案だった。しかし、台地上や台地縁の台方(だいかた)の村々は反対であった。堤防を築いても水害が防げるのか?、人足を出す負担の是非の問題があった。                                               

〇1781年(享和元年)、鰭ケ崎村名主の渡辺庄左衛門らによって、12カ村が初めて坂川の流路を南方(松戸宿・小山・矢切方面などの下郷へ)へ延長することを出願。以降、約60年間、坂川の流路延長は説得と実現へ尽力され、堀継ぎされていくことになる。1834年(天保5年)、下郷村々+坂川組合村々+鰭ケ崎村との合意へ。(ー講演の主たる部分は、おりおりの願書、反対の意見、事件、その成果や課題が述べられていきました。)1836年(天保7)、ルートの延長が実現し、坂川の流路はほぼ現在の柳原水閘までの姿になる。こうして、明治以降の坂川周辺の農業発展の基礎が築かれたが、水害とのたたかいは続く。      

〇江戸時代後半、坂川の改修が実現できた要因をあげる。村々を結集してネバリ強く幕府に働きかけたこと、具体的な改修プランを提案していたこと、地域有力者の政治的な交渉力・私財提供・工事請負があげられる。  

霞ヶ浦における河岸の成立 

・河岸成立の時期は場所によってまちまち 

・中世から霞ヶ浦沿岸には「津」が発展し栄えた 

・元禄3年に行われた河岸吟味では霞ヶ浦(西浦)で6つ、北浦で9つの河岸を幕府が把握 

・明和・安永期の河岸吟味では霞ヶ浦(西浦)で5つ、北浦で28つの河岸が幕府に把握され、運上金が課せられる 

・木下河岸は両方の河岸吟味で対象になる 

 

霞ヶ浦を介して運ばれたもの 

・年貢米(俵物)のほか、日常的に必要な物資が運ばれたのか 

・肥料(金肥)や塩、樽を使う醤油や酒、材木・薪など、大量輸送の必要な荷物や重い荷物は船で輸送 

・日常的に使うかくちの品も複数に上げされた(土佐節、土佐半紙、伊予砥) 

 

霞ヶ浦水運の様相 

・江戸時代後期には、本数・束数ともに10万本以上の薪が江戸の問屋へ出荷/船賃は年間約150 

・輸送を担っていたのは、石田河岸の持ち船以外にも、各河岸を拠点とする船頭(兼船持=小船持) 

・問屋に属さない自由な小船持が河岸問屋の経営を脅かしたと理解されていた、しかし、各地の河岸からやって来る小船持こそ霞ヶ浦水運の担い手/問屋とは協調と相克/小船持は石田河岸への物資を運び、その後河岸問屋にの差配を受けて江戸へ薪を輸送した 

 

霞ヶ浦水運の流通秩序 

・歌詞はお互いの利益を守り、物資の流通を円滑に行うため、たびたび規則(流通秩序)を設けた 

規則の主な内容 

・運賃の規定 

・船の延着や江戸での長期停泊の制限、 

・過積載の禁止、 

・送り状に記された荷物(貸し問屋が把握している荷物)以外の積載禁止、 

・難船時の対応方法や積荷の損害補償、 

・定期的な会合の開催 

仲間内が「損」をしないために設定するものが、流通秩序/船賃の設定や積荷の損傷など、水運特有の問題をクリアするために設定された/仲間内で独自の事を作り出すと言う自律性 

霞ヶ浦水軍(+利根川中・下流域)において、難船が大きなリスク 

 

まとめ 

・霞ヶ浦の水運は古くから利用されてきたが、河岸が把握されたのは元禄3(1690)/霞ヶ浦(西浦)6つ、北浦で9つの 河岸を幕府が把握 

・明和・安永期:霞ヶ浦(西浦)5つ、北浦で28つの河岸に、幕府が運上金を課す。 

河岸問屋(ないし河岸)に株が与えられる。 

・水運は年貢米の輸送が中心で、その後、商品荷物も多数運ばれた。 

霞ヶ浦を介して、肥料(金肥)がもたらされ、農作物の栽培が活性化/薪や材木、特産である醤油などは霞ヶ浦を介して出荷 

・薪の場合、江戸時代後期には例年本数・束数ともに10万以上が江戸へ出荷 

・石田河岸の薪輸送を担っていたのは、他の地域からやってくる船頭(小舟持) 

河岸問屋と協調・相克/各地からの物資をもたらし、石田河岸の薪を帰り荷として運んでいく。 

・河岸は互いの利益を守るために、仲間を結成/規則を設定=流通秩序 

・新たな稼ぎを禁じたり、船賃を設定したり、難船の賠償方法を設定したりすることで、水運特有の課題をクリアすることを目指した。 

仲間内で独自に流通秩序を設定する自律性を持ち合わせる。 

・江戸時代以降、水運を巡る体制は大きく変化する。 

 株の無効化/明治政府指導企業による支配(陸運元会社、内国通運会社)/鉄道の登場。 

霞ヶ浦水運は、物資を運ぶだけではない転換をしていく。 

利根川文化研究会会報 47


赤堀川の改修事業について(概要メモ)




文化期の赤堀川開削について




434558819_7405347202881748_9039992199772012082_n.jpg

(一般的な利根川東遷事業の経過)

 利根川東遷事業は、徳川幕府の大規模な河川改修プロジェクトでした。以下はその時系列での詳細な説明です:

  1. 元禄11年(1698年):幕府は利根川の水害対策と水運の改善を目的として、利根川東遷事業を開始しました。この計画は、江戸の水害を減らすとともに、水運の効率化を図るために利根川の流路を変更することを意図しています。

  2. 元禄14年(1701年):利根川東遷事業の具体的な計画が策定され、工事が本格的に開始されました。この時期には、利根川の上流部の調査が行われ、新たな流路の構築計画が立てられました。

  3. 宝永元年(1704年):利根川の上流から下流までの全体の計画が完成し、工事が着実に進行しています。河川工学の知識や技術が結集され、堤防の築造や川床の改修が行われました。

  4. 享保4年(1719年):利根川の新しい流路が一部完成し、水の流れが徐々に変化しています。これにより、一部の地域で水害の被害が減少し、水運の効率も向上しています。

  5. 宝暦3年(1753年):利根川東遷事業は、約55年の歳月を経て完了しました。利根川の新しい流路が全面的に整備され、幕府の目的である水害の軽減や水運の改善が実現されました。

 以上の経過ですが、歴史事象の真偽、さらに、詳細な経過を探求し、事業、施策の成果、評価等、史料改題に基づき詳細に考察しているているのが、原論文です。

世界史とは何か、どう伝えるか、世界史を学ぶ  小川幸司 著 岩波新書
 歴史総合を学ぶ③



313970987_494904129348229_4855526627442718594_n.jpg

世界史を学ぶ  小川浩司 著 岩波新書




15697528_1237542619667223_38824390295274455_n.jpg


利根川文化研究会

 

日時 20231118日(土)12:3016:45(幸手駅で集合・解散)

巡検「権現堂堤付近巡検」

 

集合場所・時刻 東武日光線・幸手駅改札口付近 12:30

案内 黒川雅彦

 

2023 11 18 日  権現堂堤付近巡検

1 歩行距離 約 69km

2 東武日光線幸手駅東口 12 40 分出発

東武日光線幸手駅西口 16 39 分着(市内巡回バス利用 高須賀池公園発 1610

※バスに乗車できない場合は、幸手駅へ 2.8km徒歩になる可能性あり

3 見所等

幸手市街日光街道、

葛西用水支流

北側用水路と権現堂川用水路、

権現堂堤巡礼樋管付近

御幸堤碑、

外国府間地内日光街道、

島中領囲堤、

狐塚押堀跡、

高須賀池(押堀)

 







(利根文化研究会) 2023-9-17

19世紀以降の羽生領等3か領の排水処理問題 赤堀川拡幅問題との関係で


原 淳二さん講義メモ

問題設定

文化・天保期に行われ、また行われようとした赤堀川拡幅について、その同時期に羽生領など、3か領での悪水処理問題が起こっていると言うことで、何らか双方に関係があるのではないか、と言う疑問、

ただ史料を読んでいきますと、両者に直接の関係は無いようです。(もし権現堂堤の保全に絡んで、享和期い幸手領から積極的な動きが認められないとすると、文化5年末に始まった赤堀川拡幅は、渇水期の中利根川流域での舟運円滑化を主目的にしたことなのかもしれない。

今日は享和期から天保期に話が及ぶので、何回かに分けて話を進める。

羽生領水利史

河川水利文書

 

悪水と赤堀川の拡幅

権現堂堤の保全

 

今回の主題

1、赤堀川の水利機構について

2、権現堂川の河床変化

3、宝暦24年にかけての羽生領による島川への逆水除門樋の設置について

4、島中川辺領の悪水処理について

5、向川辺領の悪水処理について(これは享和期以降の話となり、次回に続く)

 

島川の逆流

中利根川赤堀川の拡幅

(堤北側)羽生領排水対策

天明3(1783)浅間山噴火→河床上昇→たびたびの洪水

天明6年 洪水決壊→手伝い幕府大名御普請 享和2(1802)破堤

その後復旧

(幸手領)

寛政6(1794)防災体制強化

・堤防強化

・待機場所

・小屋(防災)

 ↓

 30年破堤していない

 

 

A、排水路反対 文政13〜天保4

B 、排水路を設けない代わりに権現堂川を閉鎖→赤堀川へ 文化6(1809)拡幅 権現堂川の負担軽減 幸手と島中川辺領の争論 天保7年 排水路は設置しない

C、堤防北側(向川辺、島中川辺)

  堤防に排水路を設けなくとも排水路を確保する

 

天保元年(1830)

権現堂堤一部に樋を埋め込む(四角い木製の排水管

 ↓

幸手領側は弱体させるので反対

 ↓

天保14年 江戸防衛の共通認識

 

 

この時期の幕府の治水政策と合致

享保以来河川敷を開発し、そこから年貢を徴収しようとする政策、

しかし、18世紀の後半、水害多発により川の洲の除去、河岸の葦刈り、水の流れのスムーズ化へ転換した。

19世紀初めの頃(治水政策の転換)

天保13年、権現堂堤に同年。12月排水管を設置し、

この変更(天保47年の判断を変えた)は、幕府農政から説明は可能であった。幕府領からの年貢増徴収政策へ

 ↓

数十年に1度の大水害に備えること、

堤防を維持することにより

堤防北側の村々の排水を改善し、農業生産を向上させ、年貢徴収につなげようとした(推測)

弘化3(1806)堤防破堤、本所、深川浸水、

幸手領、堤防南側の組合村が危惧していたことが現実化

結果、江戸を洪水から守れなかったが、洪水は幕府にとっては許容範囲であった可能性

地域社会の内部の対立

堤の私的利用。

組合内部の対立(強硬派と硬軟派の対立、農・漁業 舟運の阻害要因

 

柄谷行人の「力と交換様式」的史的唯物論について chatGPTと質疑しました。

  マルクスの史的唯物論は生産力と生産関係が政治社会的な上部構造を規定するとあります。 柄谷さんはどんな社会を想定しているのでしょうね。 

  ChatGPT 
 柄谷行人は、自身の著書「力と交換様式」および「世界史の構造」において、特定の理想的 な社会を想定しているわけではなく、むしろ異なる歴史的段階や社会構造の分析を通じて、 歴史の変遷や社会の構造を理解しようとしています。
 彼は特定の社会体制や理想社会の実現 を目指すことよりも、社会の発展や矛盾を解明することに焦点を当てています。 
 具体的には、柄谷行人は異なる交換様式とそれに伴う社会的変化を調査し、それぞれの交換 様式が特定の歴史的段階や社会的特性に関連付けられることを示唆しています。
 彼のアプロ ーチは、歴史的な事実とパターンに基づいて、社会の変遷を理解しようとするものであり、 特定の理論的な社会モデルを提供するものではありません。 
 言い換えれば、柄谷行人は特定の理想社会の設計や目指すべき社会形態を提示するのでは なく、歴史と社会の複雑な相互作用を探求し、経済と社会の関係に焦点を当てて理解しよう としています。
 彼のアプローチは歴史の理解と社会の解剖学的分析に中心を置いており、特 定の社会像の提供よりも、社会の発展の構造とメカニズムを説明することに力点が置かれ ています。
世界史とは何か、「歴史実践」のために    小川幸司 著  岩波新書




72189395_3000132413394596_7847568878073806848_n.jpg



「世界史の構造」「力と交換様式」   

              柄谷行人 著 岩波書店

 

本の概要

1970年代後半から文芸批評家として活躍し、90年代後半からはマルクスやカント、ホッブスの読解から「交換」に着目した理論で社会や歴史を読み解いてきた柄谷行人さん。

 

その集大成ともいうべき『力と交換様式』では、社会システムを

A=贈与と返礼の互酬、

B=支配と保護による略取と再分配、

C=貨幣と商品による商品交換、

D=高次元でのAの回復

という4つの交換様式によって捉え、とりわけ資本主義=ネーション=国家を揚棄する、人間の意思を超えた「D」の到来をめぐって思考を深めた。

 

Aの回復としてのDは必ず到来する」。

民主主義と資本主義が行き詰まりを見せる混迷の危機の時代、

絶望的な未来に希望はどう宿るのか。その輪郭はどのように素描可能か。

『世界史の構造』、そして『力と交換様式』を貫く「交換様式」の思考の源泉に迫る。

 

image-thumb-350x262-569.jpg

 

 

『世界史の構造』 

  柄谷氏は、氏族社会、古代国家、世界帝国、普遍宗教、近代国家、産業資本、グローバリゼーションへと世界史の流れを見渡し、「交換様式」から社会構成体の歴史を見直し、以下の4つの交換様式の変遷として整理する中から、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうと試みています。

 

 交換様式A:互酬制(氏族社会)

 交換様式B:略取と再分配(アジア型帝国、古典古代、封建制社会etc.

 交換様式C:商品交換(資本主義社会)

 交換様式D:バージョンアップした互酬的交換(普遍宗教)

 

 ごく平たく言い直すと、人間がつくる社会において、経済的関係のパターンは、贈与(贈り、贈られる)、略取(権力を背景に奪い、再分配する)、商品交換(お金を介して取引する)のいずれかになる。

 そして商品交換の様式が支配的になり、その齟齬が大きくなった現代社会の先に、互酬的交換がバージョンアップした形態が登場することを予期している、という話です。



「力と交換様式」

 柄谷行人氏流の唯物史観を分かり易く概説した本だと思います。

  マルクスの『資本論』の中に、現段階の産業資本構造(社会構成体)の下部構造におけるキーコンセプトとして、生産様式だけでなく(多くの学者が見逃していた)交換様式が重要であることを明解に指摘しており、それを織り込んだかたちでこれからの社会変革の道筋を考察しています。

 1970年代後半から文芸批評家として活躍し、90年代後半からはマルクスやカント、ホッブスの読解から「交換」に着目した理論で社会や歴史を読み解いてきた柄谷行人。

 その集大成ともいうべき『力と交換様式』では、社会システムを

A=贈与と返礼の互酬、

B=支配と保護による略取と再分配、

C=貨幣と商品による商品交換、

D=高次元でのAの回復

という4つの交換様式によって捉え、とりわけ資本主義=ネーション=国家を揚棄する、人間の意思を超えた「D」の到来をめぐって思考を深めている。

Aの回復としてのDは必ず到来する」。


史的唯物論に照らすと

  1. A=贈与と返礼の互酬: この交換様式は、比較的初期の社会形態である共同体や部族社会に対応します。こうした社会では、人々のつながりや信頼が贈与と返礼の互酬によって築かれます。結びつきが小規模で密接なものであるため、共同体の維持と発展が重要です。
  2. B=支配と保護による略取と再分配: この交換様式は、支配者と被支配者の関係が顕著な階級社会や封建社会に対応します。支配者が支配される者から資源を略取し、再分配することで社会的な秩序を保っています。こうした社会では支配と被支配の対立が中心となります。
  3. C=貨幣と商品による商品交換: この交換様式は、近代資本主義社会に特有です。商品交換や市場経済が中心で、個人の自己利益追求が活発です。資本主義の下では、生産の拡大や利潤追求が社会の中心に位置し、経済的発展が進行します。
  4. D=高次元でのAの回復: この交換様式は、より広いスケールや複雑な社会においても、贈与と返礼の互酬の原則が活用されることを意味します。これは、大規模で多様な社会が共存し、結びつきを保つために、贈与と返礼の構造が適用されることを指します。

  

「力と交換様式」では、交換様式を通じて社会の変化を説明しようとしていますが、それぞれの交換様式が特定の歴史的な出来事に直接結びつくわけではありません。代わりに、これらの様式が異なる社会の発展段階や特性に対応し、経済的な要因が社会構造や関係に与える影響を理解しようとしています。

  もし、特定の歴史的事象に関する詳細な説明が必要であれば、その事象に関連する具体的な歴史的文献や資料を参照することをおすすめします。柄谷行人の理論を歴史的事象に適用する場合も、その理論を基に考察を行うことになるでしょう


民主主義と資本主義が行き詰まりを見せる混迷の危機の時代、

絶望的な未来に希望はどう宿るのか。その輪郭はどのように素描可能か。 

 

 柄谷氏の独自の見方と立場が明晰に示されているユニークで貴重な書籍です。

「自由な思考」の典型例で、独自の視点で(通説とは異なる)未知の認知領域を探索する研究者にとって示唆に富む良書だと思います。

  

 ただし、交換様式Dについて多くを望むと期待外れに終わるかも知れません。

 

  未知の領域の開拓は若い世代に委ねられていますね。







月別 アーカイブ

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち歴史・文化散策カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは旅景色です。

次のカテゴリは漱石散策です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。