「遺言書」から、江戸中期の証人の人生と生きがい、社会観、商業観などを考えます。
江戸商人の「遺言書」
1、伊勢屋伊兵衛
伊勢四日市出身の初代が元禄12年(1699)江戸日本橋で創業した鰹節商。
宝永元年(1704年)小舟町に鰹節問屋出店、同2年屋号を「伊勢屋伊兵衛」とし、加賀藩邸の御用を受ける。
以後、大名家との取引を増やす。
享保5年(1720)瀬戸物町に現金売りの店を出し、6年土蔵へ建直し、7年本店を同所に移転。幾度もの危機を乗り切り、3代(安永期、1770年代)までに、江戸を代表する鰹節商となる。
2019年現在創業320年。3代伊兵衛が必要な記録を残す。今日の伊兵衛氏は第13代
2、三代伊兵衛幸通の人生
出生 正徳4年(1714) 7月15日、幼名伊之助 父、伊勢屋主人伊兵衛(高津氏) 母おはつ。
家族 父伊兵衛佐幸、母おはつ(享保2年没)、長兄太郎(2代伊兵衛)、次男伊之助(3代伊兵衛) 後母(享保4年より)、ぎん(連れ子)、三男長次郎(享保5年出生) 祖母おたつ(永松尼)
教育 享保5年寺上がり、その後「宗儒の理学」を習う→朱子学
父病没 享保14年(1729)4月、享年51歳、兄18歳で2代伊兵衛襲名、伊之助は元服して茂兵衛と改め16歳 幼い兄弟の後見人、万代屋に加賀藩御用など得意先を奪われ、以後、商い凋落する。
弟養子 享保19年、三男長次郎15歳 持参金を持ち、伊勢四日市の本家に入る
2代伊兵衛婚礼 元文2年(1737)、妻おまん、同4年、長男長太郎を生み、17歳で没
元文5年(1740)、長太郎疱瘡で死亡 2代伊兵衛発病
茂兵衛(後に3代伊兵衛当主代名代 元文5年、27歳
再建計画 寛保2年(1742)、商い低迷、倹約のため経費計画をつくり実践
神を病む兄に神田の八兵衛娘しゅんを妾とする 翌年、金蔵出生
茂兵衛婚礼 延享4年(1747)、34歳 妻おため(本所小松屋の娘)
兄としゅんの男児金蔵、疱瘡で死去 2代伊兵衛、ほぼ人格崩壊
三代伊兵衛襲名 寛延2年(1749)8月、2代没、茂兵衛が当主となる。36歳
以後、商勢回復、隆盛に向かう
長女おもん出生 寛延3年(1750 )8月
長男文之助出生 宝暦11年(1761) 9月
次女おため出生 宝暦14年(1764)4月
妻おため逝去 同年5月、おため、出産後の養生ならず容体急変、死去、33歳
「追遠訓」書く 明和元年(1764)7月、伊兵衛51歳
長男文之助死去 明和4年(1767)2月 享年7歳
病を得る(中風) 明和6年7月
後継者選ぶ 明和7年(1770) 57歳 手代伊七を長女おもんの婿とする
大商い 安永元年(1772) 59歳 短期間に数千両を得る
「遺嘱」書く 安永3年(1774) 62歳 同年6年に一部改定
「福寿録」「養老誌」著す 安永4年(1775) 62歳
「無言語」著す 安永6年(1777)
死去 安永8年(1779) 行年66歳