歴史・文化散策: 2024年5月アーカイブ

利根川文化研究会会報 47


赤堀川の改修事業について(概要メモ)




文化期の赤堀川開削について




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(一般的な利根川東遷事業の経過)

 利根川東遷事業は、徳川幕府の大規模な河川改修プロジェクトでした。以下はその時系列での詳細な説明です:

  1. 元禄11年(1698年):幕府は利根川の水害対策と水運の改善を目的として、利根川東遷事業を開始しました。この計画は、江戸の水害を減らすとともに、水運の効率化を図るために利根川の流路を変更することを意図しています。

  2. 元禄14年(1701年):利根川東遷事業の具体的な計画が策定され、工事が本格的に開始されました。この時期には、利根川の上流部の調査が行われ、新たな流路の構築計画が立てられました。

  3. 宝永元年(1704年):利根川の上流から下流までの全体の計画が完成し、工事が着実に進行しています。河川工学の知識や技術が結集され、堤防の築造や川床の改修が行われました。

  4. 享保4年(1719年):利根川の新しい流路が一部完成し、水の流れが徐々に変化しています。これにより、一部の地域で水害の被害が減少し、水運の効率も向上しています。

  5. 宝暦3年(1753年):利根川東遷事業は、約55年の歳月を経て完了しました。利根川の新しい流路が全面的に整備され、幕府の目的である水害の軽減や水運の改善が実現されました。

 以上の経過ですが、歴史事象の真偽、さらに、詳細な経過を探求し、事業、施策の成果、評価等、史料改題に基づき詳細に考察しているているのが、原論文です。

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