漱石散策: 2017年10月アーカイブ

(読書メモ)

文学白熱教室 カズオ・イシグロ 2015 日本


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作品は、世界40ヶ国以上で出版されている

「日の名残り」は、英国最高の文学賞であるブッカー賞を得ている

忘れられた個人、人間の本質に記憶を通して迫る作風。

 

小説とは何なのか、何故、小説を読み、小説を書くのか

小説は、娯楽なのか、社会にとって重要なのか

フィクションと小説は、何故重要なのか

人々は、事実でないフィクションを好むのか

エッセイや科学でなくフィクション、小説なのか

一緒に考えていきたい。

 

私が小説家になった経緯、動機は、

1954 長崎に生まれ、5歳まで日本で過ごした

5歳から、両親の都合で、渡英し、英国で暮らし、育った

いつかは日本に帰るものと思っていた。

しかし、日本への思いや記憶が、だんだん薄らいで行くのを感じた

そこで、薄らいで行く記憶を描いて見ようと、思った

それはフィクションではあるが、記憶を安全に保存するには十分な方法であることを知った

それは、日本の歴史や状況をリサーチするものではなく、想いの記憶から、小説、物語というフィクションになったのである

 

 

「遠い山なみの光」 82年

https://youtu.be/uC5LBNghp8c?t=23m25s


戦後に育組まれた回想物語。50年代の長崎を舞台に、原子爆弾による被害は背後に暗い影を落とす。イギリスの郊外に住む主人公悦子が長崎の思い出を語るのは、実はそこで出会った佐知子という女性と自身を重ねている。佐知子とその不幸な娘の物語というフィルターを介し、悦子は、日本を想像してのフィクションである。この作品の長崎は、現実と幻想のはざまにある。

フィクションを書くことで記憶を安全に保存すること、内の記憶、心や感情、感覚的なもの(気候、景色、色、音、状況)を小説で保障、保存できることを学んだ。

 

「浮世の画家」87年ウイットブレッド賞

https://youtu.be/ZACS2PaaRWg?t=51s


日本への想い

私の日本、私の中で作られた日本マインド

若い頃は挑戦的にかけたが、今は、多少の技巧性を増している

1980年の日本だが、ジャーナリストや旅行作家の視点ではない。人々の過去の記憶を認めた

読者の限界性を感じた

時代遅れとなった画家を描いた

 

「日の名残り」 1994年 ブッカー賞

https://youtu.be/8_oU0x_6DmM


英国を舞台とする。スチーブンスという老執事.。

完璧な仕事をする執事の品格を書いた

しかし、彼の価値観は時代遅れとなった

舞台設定はどこでもよかったが、アイディアを書き留めて行くうちに自由さが増し、選択肢が増して、アイディアの発展、感情の高揚、そして物語化へ

何が小説なのか、価値とはなにか、段々深化していった

ロケーション ハンティングが重要である


「わたしを離さないで」 2005

https://youtu.be/MMgY_2rqONc?t=13s


2回書き直し、3度目にやっと舞台設定が決まった(19902001)

キャシー、ルース、トミー

自分たちが臓器提供のクローンとして生まれたことを回想、そして臓器提供に終息する運命を描いた

臓器移植、介護生活、記憶の整理、回想を通して物語る

ヘイルシャム(寄宿舎)→コテージ(介護人)→ノーフォーク(臓器提供を猶予)→最高の環境で育てたが、提供の猶予はできない

大人になるということ

過去と折り合いをつける(宿命から逃れられない)

理解することと、学ぶことの違いを知る

人生の限られた時間を生きる

描かれたのは、リアルな現実の世界ではない

キャシーは、二人を失ったが、記憶を失うことはない

 

小説の幻想的な手法で

小説による巧みな仕掛け、

詳しくない世界観だから仕組みや、ルールの説明が必要になった

フィクションとは、

想像から生まれる異なる世界、物語を作ること

その物語を記憶で語る

何故、こんな小説が読まれるのか

小説は、表現の形式、想像の静止画のつながりだ

TV、映画は動画、連続、想像の余地がない

プルーストの「沈黙の世界」、いい作品だと思う

不安定な記憶の流れで語られている

ものがたりを語る上での手法は、紙の上に書くことでしか、できないこと

だから、物語を記憶で書くのである


一枚の画 と 動画、ムービー

        ↓

記憶、想像の  画像がハッキリしすぎる

広がり         ↓

  ↓        ↓

フィクション、   ドキュメント

小説なら可能    ルポルタージュ

  ↓

信頼できない語り手に対しては、読者は、すでに読み取るスキルを持っている。

  ↓

記憶の曖昧さと過去への責任

  ↓

メモリーとノスタルジー

  ↓

いつ忘れるか、いつ思い出すか

 

 

メタファー(比喩、隠喩)について

日の名残り」を書いたとき、英国籍をとった

作品のふたつのメタファー

重圧感情を隠すことの恐れ→恐怖性

私たちも執事なのである→忠実性

 

隠喩について

フィクションは、嘘か?

普遍的な事実を伝える

嘘は、嫌いである

事実でない話を作る

小説には、重要な真実が含まれている

人間として感じるもの

重大な心情や気持ちが伝えられる

事実は、状況を伝えられるが、真実ではない

 

 

「忘れられた巨人」最新作 2015年

https://youtu.be/P9t35kuIMI0?t=14s


昔のイギリスが舞台

出来事を忘れる

思い出せない

記憶を忘れたままにするか

記憶を取り戻すべきか

社会における記憶とは、

 

映画「シカゴ」からは、

黒人男性と白人女性のダンスについて

実際はありえない→人種差別の時代だった

 

過去の事実に即するか、物語って隠される真実を語るか、

 

 

「わたしが孤独だったころ」2000

https://youtu.be/WNf36qGBH3Q?t=3m35s


日中戦争、上海の祖父の記憶の後継を履くしたもの

幻想と現実の曖昧さ、

 

充たされざる者 

https://youtu.be/vcxYsrin7tU?t=1m51s

 

 

まとめ

小説は、書くことで、心情、思いを伝えられる

人間としては、感情を分かち合い

思いを伝え合い

心情を表現してこそ、心を分かち合える

 

記憶を忘れないで、離れないで

命をつなぐ記憶



受賞した英国でのインタビュー



 ノーベル文学賞の受賞が決まった英国の小説家カズオ・イシグロさん(62)が5日夕、ロンドン市内の出版社で記者会見した。長崎市で生まれ、5歳まで幼少期を過ごした日本について「ものの見方、書き方は日本の文化から来ている」と話した。日本人で文学賞を受賞した川端康成、大江健三郎の名前を挙げ、「その足跡に自分が続くことをありがたく思う」と語った。


 イシグロさんは、英国でも日本人の両親のもとで、家庭内では日本語を話して育った。幼少期の日本での記憶は初期の2作品(『遠い山なみの光』、『浮世の画家』)に特に大きな影響を与えた。直接的な記憶というよりも考え方や物事の見方、振る舞い方といったものに影響を受けたという。
 「日本で大人になるはずが、偶然にもここに残ることになった。だから物事を日本的な方法で見るように教わってきた。それは両親の世代の古風な日本かもしれない」
 あなたは英国の作家なのか、日本の作家なのか――。これまで何度も受けた質問だ。「明確な答えを見いだすことはできない。英国の作家、日本の作家であるということがどんな意味を持つのか分からない。自分のことは、いつもただの(ひとりの)作家だと思っている。自分は日本、英国という生い立ち、さらには国際的な環境、すべての影響を受けている」
 イシグロさんが自分にとって重要な作家として挙げたのは、フランツ・カフカ、ジェーン・オースティン、マルセル・プルーストの3人。その上で19世紀英ビクトリア時代の作家シャーロット・ブロンテについて「私の著作に最も大きな影響を与えた作家」と言及した。「(ブロンテの代表作)『ジェーン・エア』を最近読んで、自分がその本からどれだけ取り込んだか驚いた。これはまさに(自分の)『日の名残り』の一節じゃないかって。自分がどれだけ彼女に負っているかわかった」
 カフカは、「技術的にも取りあげるテーマの上でも、またこの世界を描写する方法についても多くの可能性を切り開いた。我々作家がもっと注目していいはずだし、私自身も注目してきた」という。
 プルーストについては「読んで以来、自分の書き方が変わった。物語を直線的な筋に従うのではなく、記憶を通じて語るという方法を示したからだ」と語った。
 偉大な小説家より自分が先に受賞することを「後ろめたい」とも話し、「ハルキ・ムラカミ(村上春樹氏)の名前がまず思い浮かぶ」と語った。
 昨年、英国が欧州連合(EU)からの離脱を決めた際、離脱派を批判する論考を書いたイシグロさん。「私はジャーナリストではない。小説家としての義務、仕事とは、必ずしもいま起きている事象について直接言及することではない。一歩下がって普通の人が権力や政治、自分自身の責任といったものにどう関わっているのかを考察することだ」
 「小説家にとってノーベル賞の精神といったものがあるのか、わからないが、ノーベル賞は常に平和というものを示してきた。国際平和とか人類の進歩とは世界の様々な場所にいるだれもが貢献しうるものだと思う。それが自分にとってのノーベル賞精神といったものでしょうか」


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