漱石散策: 2019年5月アーカイブ

寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
 


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寺田寅彦の文学における師である夏目漱石の追憶のために書かれた作品。寅彦の全エッセイの中でも最も有名なもので、特に漱石の作品の裏話的な話題が豊富に記載されていることから、漱石文学に関する貴重な資料として研究者からも重要視されているエッセイです。
 
  まず熊本の高等学校時代、英語教師として赴任していた漱石との出会いから話が始まります。そこでは当時の漱石の高校での授業の様子が書かれています。
 
    教場へはいると、まずチョッキのかくしから、鎖も何もつかないニッケル側の時計を出してそっと机の片すみへのせてから講義をはじめた。何か少し込み入った事について会心の説明をするときには、人さし指を伸ばして鼻柱の上へ少しはすかいに押しつける癖があった。学生の中に質問好きの男がいて根掘り葉掘りうるさく聞いていると「そんなことは、君、書いた当人に聞いたってわかりゃしないよ」と言って撃退するのであった当時の先生は同窓の一部の人々にはたいそうこわい先生だったそうであるが、自分には、ちっともこわくない最も親しいなつかしい先生であったのである。
科外講義としておもに文科の学生のために、朝七時から八時までオセロを講じていた。・・

    ちなみに文中の「オセロ」というのはシェイクスピアの有名な作品のことです。それにしても、「そんなことは、君、書いた当人に聞いたってわかりゃしないよ」という漱石の言葉は何とも愉快で、この21世紀の現在の日本においても、おそらく漱石の「こころ」などの作品は、高校の期末試験なり大学の入学試験なり、とにかく国語の試験問題として、よく取り上げられるところですし、高校時代に例えば「『こころ』の以下の部分で作者は何を言おうとしたのか、次の中から選べ」みたいな問題、何度となく目にしたものですが、漱石に言わせれば、「そんなことは、君、書いた当人に聞いたってわかりゃしないよ」ということになるのではないでしょうか。

   そのあと、上京したおりに漱石の紹介で正岡子規に面会したこと、漱石がイギリスに洋行する際に横浜へ見送りに行ったこと、漱石がイギリスから帰国して東京・千駄木へ居を定めてからは、三日にあげず遊びに行ったこと、そして「吾輩は猫である」で漱石が一足飛びに有名になってしまったこと、などが順々に語られていきます。

    そして、その「猫」に出てくる水島寒月が語る有名な講釈「首つりの力学」が、寅彦が漱石に話したレヴェレンド・ハウトンという学者の論文を元に書かれたことが明かされています。「高等学校時代に数学の得意であった先生は、こういうものを読んでもちゃんと理解するだけの素養をもっていたのである。文学者には異例であろうと思う。」とも書かれています。

    また、「Tは国のみやげに鰹節(かつおぶし)をたった一本持って来たと言って笑われたこともある」というエピソードも、漱石の「猫」にそのまんま出てくる話です。
 
    「虞美人草」を書いていたころに、自分の研究をしている実験室を見せろと言われるので、一日学校へ案内して地下室の実験装置を見せて詳しい説明をした。そのころはちょうど弾丸の飛行している前後の気波をシュリーレン写真にとることをやっていた。「これを小説の中へ書くがいいか」と言われるので、それは少し困りますと言ったら、それなら何か他の実験の話をしろというので、偶然そのころ読んでいたニコルスという学者の「光圧の測定」に関する実験の話をした。それをたった一ぺん聞いただけで、すっかり要領をのみ込んで書いたのが野々宮さん」の実験室の光景である。聞いただけで見たことのない実験がかなりリアルに描かれているのである。これも日本の文学者には珍しいと思う。
    この「光圧の測定」は漱石の「三四郎」に出てくる有名なエピソードで、小説中、野々宮が所属する東大の理学研究室を訪問した三四郎が、そこで野々宮の研究テーマである、光の圧力の測定を目の当たりにして驚かされ、そのあと研究室を出て、池(今でいう三四郎池)の周りをブラブラしていると、そこでヒロインの美禰子に出会うことになるわけです。

    臨終には間に合わず、わざわざ飛んで来てくれたK君の最後のしらせに、人力にゆられて早稲田まで行った。その途中で、車の前面の幌にはまったセルロイドの窓越しに見る街路の灯が、妙にぼやけた星形に見え、それが不思議に物狂わしくおどり狂うように思われたのであった。
   先生からはいろいろのものを教えられた。俳句の技巧を教わったというだけではなくて、自然の美しさを自分自身の目で発見することを教わった。同じようにまた、人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛し偽なるものを憎むべき事を教えられた。
 しかし自分の中にいる極端なエゴイストに言わせれば、自分にとっては先生が俳句がうまかろうが、まずかろうが、英文学に通じていようがいまいが、そんな事はどうでもよかった。いわんや先生が大文豪になろうがなるまいが、そんなことは問題にも何もならなかった。むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかったではないかというような気がするくらいである。先生が大家にならなかったら少なくももっと長生きをされたであろうという気がするのである。

    ここは何度読んでも胸を打たれます。「むしろ先生がいつまでも名もないただの学校の先生であってくれたほうがよかった」というあたり、寅彦の赤心が直截に滲み出た、まさに迫真の叙述というべきものではないでしょうか。

 

和辻哲郎随想集 和辻哲郎 著 岩波文庫
 
 
「夏目先生の追憶」という題の
『新小説』1917年1月臨時号に掲載されたもの
がこの本にのっていました。
「夏目先生の人及び芸術」に関する特集。

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夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である。
私の心は先生の追懐に充ちている。
しかし私の乱れた頭はただ一つの糸をも確かに手繰り出すことができない。
わたしは夜ふくるまでここに茫然と火鉢の火を見まもっていた。

という文ではじまります。

著者の和辻氏が夏目先生を高等学校の廊下で毎日のように見た頃の感情や
はじめて千駄木の先生の家に訪れ話しをした印象など、
著者が自己の確かでない感傷的な青年であった「私」の頃にもどった追憶で綴られていく。
そして、
自分が先生に抱いていた感情は
先生の方から生徒を見ればどうなるか。
ということに触れ、先生の手紙の一節が引かれている。

著者の和辻氏が夏目漱石の個性を本当に細かく受け取っていて
感傷的な青年の頃から接していたから受け取れるものであるのでしょう。
和辻氏の文を通してここまで夏目漱石を知ることができることに
幸福であると思いました。

和辻氏は夏目漱石の作品に触れ、

我々は赤裸々な先生の心と向き合って立つことになる。
単なる人生の報告を聞くのではなく、
一人の求道者の人間知と内的経路との告白を聞くのである。と。
『猫』、『野分』、『虞美人草』、『心』、『道草』、『明暗』
『三四郎』『それから』『門』『彼岸過迄』『行人』、『硝子戸の中』
和辻氏は先生の人格に引きつけられている心持ちの中、
先生が「何を描こうとしたか」について触れている。

和辻氏は語る。
先生の技能が提供するさまざまの興味のある問題は、
たとえその興味が非常に深かろうとも、今直ちに私の心の中心へ来る事が出来ない。
しかしそのために読者諸君の注意をこの方向へ向けて悪いというわけは少しもない。
私は先生の死に際して諸君が先生の全著書を一まとめにして
あらためて鑑賞されんことを希望する。

先生の芸術はその結構から言えば建築である。
すべての細部は全体を統一する力に服属せしめられている。
さらにまた先生の全著書は先生の歩いた道の標柱である。
すべての作は中心をいのちに従って並べられている。

和辻氏が、
「田舎の事とてあたりは地の底に沈んでいくように静かである。
あ、はるかに法鼓の音が聞こえて来る。
あの海べの大きな寺でも信心深い人々がこの夜を徹しようとしているのだ。」

と書いている感情のなか描かれた夏目漱石に触れられます。
和辻氏が26歳の頃である。
漱石先生の追懐 和辻哲郎   

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夏目漱石は、芸術は、人格の表現である

眼の作家であるよりも心の作家である

画家であるよりも心理家である 

見る人であるよりも考える人である

小説家であるよりも哲人に近かった

先生の作物は、イデーに基づく、作られたもの

それは、人生の報告を聞くのでなく、一人の求道者の人間知と内的経路の告白を聞くのである


漱石の創作と諧謔性

 

利己主義   →   不正と虚偽性に対するエゴイズ、嫌悪

情熱と不快(猫、草枕、野分)

     ↓

徳義的脊骨    →    正義 への愛 公正への情熱 

厭世的気分 (虞美人草)    → 恋愛の葛藤(三四郎)

人生は片づかない 悲劇的開展

  (それから、門、彼岸過迄、行人

                           

厭世的あきらめ 正義への絶望的開展(道草)  ↓                                                    

        (こころ生きること・生と死 

          ↓           

無頓着  →  則天去私 (明暗)  →  創作と諧謔性










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